しびれる手袋  遠きノイエルの聖夜祭には到底規模で及ばないが、アクリ・テオラにも祭りの季節がやって来た。  ノースティリスでは異彩を放つこの小さな、とても小さな機械都市。そこはある時期になると、彼らの奉ずる《機械のマニ》を祝うための準備を始める。年に一度、かの神にありったけのディスクやチップを捧げ、この世の機械技術がどれほど発展したかを神に知らせるとともに、次の年の発展を祈り願いながら、大いに飲み食い、歌うのだ。  当の機械神がそれをどのように思っているのかは、定命の者にははかり知れないことだった。マニがこの祭りに対して何か御言葉を残したとか、そういう記録はまるでない。しかし、今のところ天罰の類が起きたためしもなかった。ゆえに人々の間では「ならば許されたのだろう」という共通認識がぼんやりと、しかし強固に組み上げられている。――いつから、誰が始めたかも分からぬ祭りであったから、そもそも神云々など建前でしかないのかもしれない。この儚い世、自分達の行く末も定かでない中、憂いや不安を忘れるために始まった宴が、後々祭りの体裁を取ったとしても不思議ではない。  そうした来歴はともかく、人々は浮き足立っている。  外の者からすれば些か無機質で、奇妙に見える飾りがドーム内を煌かせるようになった。住人たちはありったけのご馳走を集め、今年の捧げ物に悩み始める。  普段とは違う空気を最もよく肌で感じたのは、外の世界からやって来た冒険者達だ。彼ら余所者の一人――異邦の弾丸『タラロフ』は、ドーム内を忙しなく行き交う住人達の姿を横目で追う。睫毛の影が落ちる緑色の双眸は、彼の顔面全体と同じくほとんど何の感情も載せていない。強いていえば、僅かに不思議に思っているくらいだろうか。 「こんな辺鄙なとこでも、人並みに年中行事なんてするもんなんだなァ」  タラロフのやや後ろをついて歩く、金髪の女が独りごちる。神々しい青い鎧に身を包んだ彼女は、オパートス神の化身たる黄金の騎士であった。然し、彼女達全般に対して人が抱く印象よりも、彼女個人はいやに俗っぽい存在感を放っている。手入れを億劫がっているのか、美しい金髪は乱れたままにしているし、恥じ入る様子もなく大欠伸をする辺りにも、神の化身らしさは全く感じられなかった。 「別に観光客が来る訳でもねーのに、よくやるっつーか」  なあ? と、黄金の騎士は語尾に疑問符をつけたが、タラロフはすぐには答えない。実はもう一人、ローランの少女が最後尾をちょこちょこと歩いているのだが、非常に寡黙な彼女から返事があるはずもなかった。話自体は聞いているのだが、返事に困った風で曖昧に微笑んでいる。 「……でも、祭りがあるから今回の話が回ってきた」 「そりゃ、そうだけどよ。間に合うのか? 明日明後日までに集まらねーぞ。この世全部がアクリ・テオラならともかく」 「普通は難しいかもね」  でも――と冒険者は呟き、自分の手元を見下ろした。  常々手袋を嵌めているのだが、今身に着けているのは普段使いの品ではない。役立つだろうからと依頼人から貸し出されたものだった。その形は手袋というには少々奇妙である。  手の甲の部分を金属の管が何本も這い、抓みやメーターやら、何だかよくわからない機械が取り付けられているのだ。単に手を保護するだけではない機能があると一目で分かるし、事実、特別なものだと説明された。……小難しいことは右から左にタラロフの頭を抜けて行ったが、使い方は覚えているから、問題なく活用できるはずである。 「その面白手袋がありゃあ、何とかなるってか? ほんとかよ?」  押して歩いているバイクのハンドルから片手を離して、何度か握ったり開いたりを繰り返していると、黄金の騎士が茶化して言った。彼女は依頼人の話を真面目に聞かないので、当然、手袋の機能のことなどよく分かっていない。使い方を覚えるためにタラロフは何度か練習したのだが、その様子を見ていてこの言い草なのだ。戦の中で見せる鋭い洞察力も、このような日常生活の場ではまるで働かないようである。  だからタラロフは適当に答えることにした。「なるんじゃないかな」――話を聞かない相手に説明したって、何にもならない。結局のところ、上手く行くか行かないか。それだけの話なのだ。 「何でもいいけど、いつも通り荷物持ちは頼むよ」 「結局それかよ……」 「文句言いの君をわざわざ連れ回す理由なんて、それ以外に何があるって言うんだ?」  抗議の声を上げる黄金の騎士を無視して、タラロフはこれからの行動を思案する。    *  タラロフがアクリ・テオラに戻ってきたのは、祭り当日の朝のことだった。  無表情でバイクを押しながら、少女と黄金の騎士を引き連れているのは、数日前と変わらない。しかし今日は、黄金の騎士に麻袋を持たせている。袋の中には何かが一杯に詰まっていて、いかにも重そうだったが黄金の騎士は涼しい顔だ。わざと顔を顰めて「重い」「ダルい」と言うだけの余裕はあるらしい。それを分かっているのか、主人の方もまるで表情を変えないで、黄金の騎士の文句を聞き流している。そんなやり取りを小柄な少女がどう受け取ったものか、おろおろと二人の顔色を窺っているのが微笑ましかった。  じわじわと盛り上がってきた祭りの空気を全く意に介さず、タラロフはまっすぐに依頼人の許へ向かう。めでたい日だというのに、自室に引き篭もったまま研究の進捗を気にしている依頼人……『謎の科学者』は、周囲ではしゃぎ回るリトルシスター達が袖を引いて知らせるまで、来客の存在に気付かなかった。 「依頼された品を持ってきました」  タラロフが顎をしゃくって合図すると、隣に居た黄金の騎士は、大袈裟に一仕事終えたという顔をして肩から麻袋を下ろした。好奇心旺盛なリトルシスター達が、早速袋の中を見ようと集まってくる。きゃあきゃあいう声が途端に二倍くらいに大きくなったので、『謎の科学者』は慌てて子供達を止めようとしたのだが、それより先に冒険者の方が続けた。 「よければ、ものを配ってしまいますけど」  冒険者の従者二人は、『謎の科学者』の返事よりも先に動き始めた。小声で少女がリトルシスター達に何やら言い含め、彼女たちを大人しく並ばせる。一方黄金の騎士は袋の中に手を突っ込み、取り出したものを一つずつ順番に、子供達に渡していくのだった。「それ」を手にしたリトルシスター達は大層喜んだ様子で、飛んだり跳ねたりと大忙しだ。ドーム内を包む祭りの空気が、ようやくこの科学者の部屋の中にまで行き渡ったかのようである。 「注文通り、持たせても危険のないジャンクを集めたので。大丈夫」  『謎の科学者』の隣に歩み寄り、タラロフは淡々とした語調で言った。成る程、リトルシスター達が自慢げに見せびらかしにきたものを観察してみると、彼の言う通りである。それは何の益体もない、恐らく使えもしないだろう機械の部品たち。ちょっと変な形の鉄屑以上にはなり得ないから、子供達がどんなに弄繰り回しても、事故に繋がる可能性は低そうだった。  「くれぐれも、子供が扱っても害のないものを選んで持ってくること」――冒険者がその注意に従ってくれたと分かり、科学者は安堵の息を吐き出す。  保護したリトルシスター達が、元の人間に戻れればいい。だが、それは一朝一夕にできることではない。ならば来るべきその日まで、せめて健やかに過ごせるように心を砕く。例えば、子供達にアクリ・テオラの祭りを楽しませてやることもその一つだ。ここに居るリトルシスター全員に機械神への捧げものを用意してやるには、こうして他人の手を借りなければならなかったのだが――それが今の自分の贖罪であり使命だと、『謎の科学者』は信じている。 「これ、お返しします。たまに出力が不安定であちこちに溜めておいたガラクタの山や、機械の死体から金属部分を選り分けるのに重宝しました」  タラロフが『謎の科学者』に差し出したのは、例の手袋である。  ネフィアでしばしば発見される、機械文明時代の遺物。それらは謎に包まれ、何に使われていたのか、どのように作られたのかを知ることは難しい。しかし、断片的に残された記録や科学者たちの弛まぬ努力により、仕組みを再現できたものが無い訳ではない。この手袋はそんな技術の一つが組み込まれたものだ――鉄の芯にコイルを巻きつけ、電気を流すと、通電している間だけ磁力を帯びる。それこそ今回の様に、大量のガラクタの山の中から金属パーツだけを選別し、再利用する為に使う予定だが、いまだ実用には至っていない。 「磁力だけでなく、電気をそのまま流せるものがあってもいいですね」  稲妻の武器みたいに――背丈が低いせいだろうか、いくらか幼く見える面持ちをひとつも変えないで、タラロフは何気なく口にした。物騒だが、ある意味で冒険者らしい発想であるとも言えよう。 「銃の扱いは得意ですけど、近付かれると不利なので。スイッチ一つで素手が武器になるなら、それを気にせずに済むかもしれない」  同行者二人があれこれと子供の世話を焼いていて、手持ち無沙汰なのだろう。依頼の話を持ちかけた時は非常に寡黙な男だと思ったのだが、今は違って饒舌だった。  何か返事をしようと口を開きかける『謎の科学者』の袖がくいと引かれたので、彼女は瞬いた。見てみれば、ジャンクパーツを抱えたリトルシスターの一人が、何やら訴えかけるような眼差しでこちらをじっと見詰めている。いつの間にか、子供達全員に部品が行き渡ったらしい。そして大人の祭りの真似事ができることにわくわくしている彼女等は、早くマニの祭壇に連れて行って欲しがっているのだった。  やっと本当に仕事を終えた黄金の騎士が、空になった袋を片手に伸びをしていた。ローランの少女の方は主の許に駆け寄って、小声で何かを囁いている。何を言っているのか、声が小さすぎて『謎の科学者』には聞こえなかったのだが、タラロフは何度か頷いてみせる。 「じゃあ、今日は一旦これで」  そう言ってそそくさと帰り支度を始めるので、『謎の科学者』はそれを制止する。まだ彼に、依頼の報酬を支払っていなかったからだ。しかし、タラロフはさほど興味なさそうに軽く片手を振った。 「それは後でいいです。そこの子供達が待ちきれなさそうだし、僕等も祭りを見物したいので。――そうですね、日が落ちた頃にまた伺います」  リトルシスター達も、昼間一日楽しんでいれば夕方には疲れきっているでしょう。お金の話は、静かな時にした方がいいと思います。冒険者はそんなようなことを、相変わらず無感情に続けて口にした。 「おーい、タラロフ、腹減った! サイバースナック食おうぜ!」  主人を置いていく勢いで、勝手にバイクを押しながら黄金の騎士が呼ぶ。 「……それに、あれは空腹だと手に負えなくなるので」  リトルシスター達に押されるようにして研究室を出る『謎の科学者』に、溜息を吐きながらタラロフは言った。「あれ」とは無論、黄金の騎士のことに違いない。 「先に何か食べさせないと。……電気ビリビリでも食らわせて、大人しくさせられたらいいんだけどな……」 (me_gumの物語が読みたいです! 「しびれる手袋」をテーマに、できれば『祭』と『謎の科学者』も出てくる物語を書いて欲しいです! http://shindanmaker.com/354401) (異邦の弾丸『タラロフ』、少女のシャハエル、黄金の騎士のゼサンダー / 『謎の科学者』) 囚われの子供  ある日の工房「ミラル・ガロク」に、男が一人やって来た。  男はどうやら冒険者と思しい。確りとした体格で、ミラルやガロクからすれば大変上背があるように見えた(この二人が小柄な為、そう見えているだけの節がある。実際はけして小さくはないが、飛びぬけて大きいとも言えないくらいだ)。地味ながら上質の衣服を身に纏い、暖かそうな厚手の外套を着込んでいる。その隙間から覗く武器防具は、丁寧に手入れを重ねつつ、身体に馴染むまでよく使い込んだもののようだった。肩に薄く雪を積もらせ、白い息を吐き出しながら、手の甲で二三度扉を叩く。  ミラルが内側から扉を開けると、男はほっと唇を綻ばせた。 「失礼します。此方が工房ミラル・ガロクで宜しかったですか」  おとないを告げた声は穏やかで低く、丁寧な物言いからは実直さが窺えた。顔立ちもまた、素朴さと真面目な性質がそのまま表れたような、好感の持てるものであった。この雪原では滅多と見られぬ、春の柔らかな土に似た茶色い髪は、後ろを少し伸ばして括っているらしい。  突然の客人に驚いて逃げ惑う工房の猫を見て、男は若草のような緑色の双眸を細める。整ってはいるが人混みに紛れればそのまま見失うような男の格好の中で、その瞳が妙に鮮やかだった。  ミラルは男の背後をちらりと一瞥してみたが、供の者の姿はおろか気配さえなかった。雪原を一人きりで旅してきたというなら、それなりに腕の立つものなのだろう。工房に来た理由を訊ねるついでにミラルが聞いてみると、男は苦笑して首を振った。 「いいえ、そんなことは。――つい最近ルミエストの近くに越しまして、その前はもっと遠くに住んでいたから、これでも随分楽になりました。雪原を渡ることだけ考えればよかったから。それに帰りは早いのです。あるじに帰還の巻物を持たせてもらったので」  ということは、この男は誰がしかの使いでここに来たのだ。ミラルが推測して返事をしようとするよりも前に、男はごそごそと懐を探り、小さな布の袋を取り出した。腕を伸ばして小袋を差し出してくるので、ミラルはそれを受け取る。袋は大きさの割りにずしりと重たく、薄くて丸いものが幾つも詰まっている感触が伝わってきた。男が言った。 「小さなメダルです。これで足りるだけ、妹の日記を頂けませんか」    * 「只今戻りました」  帰還の巻物で自宅に戻った防衛者のリビスは、自分が使いに出された日と寸分変わらぬわが家の様子を見て息を吐いた。  こぢんまりとした森の小さな家は、玄関を開けるや否やそこら中に本が散らかっている。本の冊数に合わせ、家の間取りに不釣合いなほどの本棚は用意したが、そこに本が収まっていなければ無用の長物も同然だ。ぽっかりと棚板の間の隙間が口を空けているのが空しい。 「お帰りなさい、リビス」  慌しく家中を動き回って、あれこれと本を集めては片付ける少女が――これも出かける前と同じ光景だ。かれこれ数日間、彼女はそうし続けていたのかもしれない――作業の手を止めて、リビスに声を掛けた。「ラザハーツ」リビスは少女の名前を呼んだ。「まだ片付きませんか」 「片した傍から出されちゃうのよ」  少女のラザハーツは肩を竦めた。いかにもうんざりしたという風だが、その物言いからは何がしかの慣れがあった。こういう状況は彼女にとって珍しくないのだろう。  一方のリビスはといえば、胃の辺りが僅かだが確実にむかむかというか、ずっしりと重くなってくるのを感じていた。片付けた傍から部屋が散らかされるなんて、秩序を重んじるリビスにとっては不快の種でしかない。無意識に眉間に皺でも刻んでいたのか、リビスの顔を見たラザハーツが、軽く手を振って付け加える。 「でも、あんたが持ってきたブツがあれば、ちょっとは状況がマシになると思うの」 「はあ……」 「坊ちゃんが自分からあれを言い出してくれて助かったわ。妹の日記でも読んだら、さすがのあの子も読書どころじゃなくなる――」  ラザハーツが言いかけたところ、奥の部屋から何か音が聞こえた。何かが崩れるような音――あれは多分、本の山の下の方から一冊引っ張り出そうとして失敗し、雪崩が起きた時の音に違いない。あるじに仕えるようになってから、しょっちゅう聞いている音だった。「あら大変!」と言って掌で口を覆ったラザハーツが廊下を駆けていく。 「アマローグ坊ちゃんッたら、もう! またロクに気を付けないで本を出すから!」  リビングに当たる部屋の扉を閉めもせずに部屋に飛び込む少女の背中を追いかけながら、やれやれとリビスは息を吐いた。一際本が山を成し、こんもりと盛り上がって見える居間のソファの辺り。慌てて本の山を取り除くラザハーツの背中の向こう側で、芋虫みたいに本の雪崩から這い出すあるじの姿が僅かに見える。 「痛たたた……、ごめん、ラザハーツ。なんだか急に本が崩れて」 「大丈夫? 怪我はない? そうだ、ほら、リビスが帰って来たのよ。妹の日記を沢山頂いてきたんですって。あんた楽しみにしてたでしょう。ここはあたしが片付けるから、そっちの方を読みなさいな」  リビスが持ち帰った妹の日記は数冊程しかないのだが、ラザハーツはあるじの気を引くために適当な事を言う。案の定少し興味をそそられた風で、雪崩の衝撃に落とした本を探そうときょろきょろしていたリビスのあるじ――失われた知者・アマローグは、寝転んだ姿勢のまま上方を見上げた。丁度居間にやって来たリビスが、アマローグの傍らに立ち止まり、あるじの上に影を落としたところだった。 「只今戻りました、アマローグ」 「おかえり、リビス」  跪いてもう一度言うと、あるじは屈託なく笑って答えてくれる。  しかしその顔を見るたび、リビスはいつも眉を潜めたくなるのだった。  数日前。防衛者のリビスを呼び出し、居間のソファに腰掛けて、あるじは淡々と言ったのだ。 「リビス、ちょっと工房まで行ってきてよ」  もう何度も何度も読み返し、擦り切れた本の頁を捲りながら。 「妹の日記を読みたいんだ。小さなメダルを持っていけば、工房ミラル・ガロクで交換できる」  その時のあるじの顔ときたらまったく能面のような無表情で、リビスの方など一瞥もしなかったというのに――一体全体、今とのこの差は何なのだ。リビスは密かに煩悶する。「外はどうだった? 寒かった? 雪降ってた? 工房の猫は、ミラルもガロクも元気だった? ――そうだ、妹の日記持ってきてくれたんでしょ、ありがとう!」恒例の質問責めがリビスを襲うが、答える気にはなれなかった。「あなたは」リビスは問う。 「私が行って帰って来るまで、ずっとそうしていたのですか」 「うん? ……うん、多分そうだけど。それがどうかしたの、リビス」  きょとりと目を丸くして無邪気に言うので、一層苛々が募る。「食事は」と聞くと「分かんない」と首を傾げられた。代わりに世話役のラザハーツが答える。 「死なない程度には食べさせたわ。お風呂にも最低限何とか入れたし」 「……そうですか」  だとすると一日一食食べていたかどうか、といったところか。本を読んでいるうちに寝落ちして、目覚めてはまた本を読み、という生活を続けていたに違いない。ソファからも録に動かずに。……想像してリビスは口をへの字に歪めた。先程帰宅して玄関を見たのと同じようなむかつきが、またも首を擡げ始めたので。 「アマローグ、妹の日記は食事の後です。まずは何か食べなさい」 「えー! やだ、おれ腹減ってないのに!」  喚くあるじを無視して、リビスは少女の方を見た。実力行使でリビスから本を奪うことなどアマローグには不可能だから、きっぱり言ってしまえばある程度言う事を聞かせられる。 「あなたは気付いていないだけです。――ラザハーツ、食事の用意はできていますね?」 「勿論」 「私も空腹ですから、一緒に食べましょう。……全部食べたら、妹の日記を差し上げます」  褒美をちらつかせてやると、単純なアマローグは目を輝かせた。「じゃあ、おれ、準備する!」と言って台所(ここにも納め切れなかった本が溢れている)に駆けてゆく。欲した妹の日記を読めば、妹が召喚されて読書どころではなくなるとまるで知らないらしい。  あるじを適当な部屋に隔離し、妹の日記で気を引いている間に、散らかった本を片付ける。それが少女のラザハーツの思いついた計画だった。今のところその試みは上手くいっている。この分なら、無事に部屋の片付けは済むだろう。 「――それにしても、あれほど簡単に本に釣られるとは」  ものを知らぬ子供でもあるまいに、と呟くリビスに、ラザハーツが言う。 「子供みたいなものよ、あの子は。……ああ、坊ちゃん、そっちの料理は大皿に!」  アマローグの子守に慣れた少女は、またしてもぱたぱたとあるじの所へ飛んで行ってしまった。  年齢だけで言えばラザハーツよりもアマローグの方がひとつ年上なのだが、精神面ではアマローグの方がとても幼い。ラザハーツがアマローグを甘やかしているせいもあろうが、それにしたって……と思わないでもなかった。読書に集中している時の、表情がごっそり抜け落ちたような貌を知っている分、余計にそのように感じるのかもしれない。  神の下僕は人間ではないものの、下界の人間の常識を持ち合わせている。だから、自らのあるじのそうした不均衡な振る舞いが尋常でないということははっきり分かっていた。人間ではあるが、同じく彼のしもべのラザハーツが、それを見て時々目を伏せることも。  それらが何に起因するものか、リビスは未だに知らない。ただ、何かがあったことは確実なのだろう。良いことか悪いことなのか分からないが、アマローグが本にあそこまで執着するように――或いは、執着せざるを得なくなった何かが。脇目も振らず座り込んでいる時のあるじは、例えるならば本を鎖に、牢獄に繋がれた虜囚のような――……。 「リビス、リービースー! 食器出すの手伝って!」  あるじの呼ぶ声に、リビスは瞬いた。反射的にはいと返事をして、着込んでいた装備を脱ぐ手を早める。片道とはいえ雪原を横切る旅の疲れか、思考が空転しつつあるようだ。気を引き締めなければ。仕えるようになって間もないあるじの、並ならぬ性質と本への執着に、下らない詮索を加えるのはしもべとして宜しくない。 「アマローグ、そんなにリビスを急かすもんじゃないわ。あの人も疲れてるんだから」 「大丈夫ですよ、ラザハーツ。お手伝いします」  何しろ本番はこれからだ。リビスとラザハーツには、この小さな家中に散らかった大量の本を、きちんと片付けるという仕事がある。アマローグがいつまで妹に気を取られていてくれるか分からない。作業が終わるまでどうせ気は抜けないのだから、食事の用意くらいどうということもなかった。 (me_gumのお題は「囚われの子供」です!できれば作中に『わが家』を使い、伝説の職人『ミラル』を登場させましょう。 http://shindanmaker.com/331820) (失われた知者『アマローグ』、防衛者のリビス、少女のラザハーツ / 伝説の職人『ミラル』)