kindleではアプリ導入に制約があり、いいメモアプリがなかなかないのでいっそのことブラウザプリでなんとかならないかと……今は7notesというアプリを使っているのだが、マゼックという手書き入力機能も組み込んであってまあ及第、 しかし文字化けすることがある。読み込みで。手書き入力が他のアプリで使えないのも残念。 あとうぇぶさーびすだとログイン期限がねぇ Kindleの、というかAndroidの?漢字変換はそこそこ優秀で、タッチパネルも大きいし意外と文字入力しやすい そこはipodtouchとは大違いである。しかしKindleFireは変換してもiPodタッチを変換してくれないのであった。iPodが出るだけいいのか。 「あいぽっど」で カーソル移動はちょっとやりにくいというのはある。 とまあ、これくらいのぶんしょうはうてる。整形したりするのが面倒なのである。あと再編案できないとかあ。再変換。Skype使ってるときみたいな文章になる。 メモ 雑記 書き出し 愛と恋 ヒロインの名前? 安直 ロボッツインディスガイズ TFのある光景 同人誌 ある特定の方法で人間のリミッターが外れるようになった未来 別の研究でたまたま判明 動物実験が先なので、人間だけでなく動物も超能力を持ってたりする ヒロインのいない物語 ヒロインめいたキャラクターはいるが主人公べったりではない(いまのドラえもんってわりとそういうところない?) Share とうきょう 都知事黒岩 移動都市みたいな世界観 「なんとか中学」という巨大単位(とうきょう)と同格 とか 日常生活に大受け、大笑いの未来人 一挙手一投足が笑われ テルマエ・ロマエで(21世紀人の)自分が笑われるような感じの 腐女子がクラスメイトの少年二人で妄想 実は片方は女の子。はがないの幸村(だっけ?)みたいな シティーハンター観察日記 http://opinion.nitro-gun.oops.jp/?eid=952283 山田一郎はないだろう、とは思った。 こういうのは追いかけている人に任せて、備忘。 ダイアリー用の着想と下書き きょう「女性専用車両」を見てふと思ったのは、こうした「逆差別」に憤りをつぶやく人たちのことであった。 しかし、と続けて考える。その「女性優遇」を当然と思う僕の根拠は、「いついかなるときも女性には親切に」という古めかしい道徳律であり、同級生から通りすがりの女性までにするその親切も単なる脊髄反射かはたまた習慣の奴隷か、とにかく本当に女性のためを思ってしていることなのか、そっちのほうもまた疑問なのであった。 (ここでいうのは、「男女平等」という普遍的な原則のことではない) --------- 本当は、「自分は嫌悪した。だからその自然な感情に従い差別する自由がある」ではなく、「自分は嫌悪を催した。自然な感情として特定の存在をことさら排除したいと思った。それはなぜだろう?」というのがあるべき姿のように思う。 突き詰めれば、「嫌悪感情」は本人にもやむにやまれぬ心理作用であり(加虐性愛であるとか小児性愛であるとか、倫理的でないとされるような)、社会がケアを引き受けなければならない存在として認知されるようになるかもしれない…… temp 綺羅星十字団のワコ……結構やっていけるんじゃないか。pixiv向けネタ。 たんぶら買った。これで僕もたんぶらりあん。でもミルクコーヒーはダメなのか……。 アニメ版「宝島」に後日譚「夕凪と呼ばれた男」というものがあるらしい。ふーん。 そのころの僕は 国語社会公民は「手持ち資料で充分」、英語は原書を読んでれば充分、生物化学物理はIBの基礎からIIまでの教科書レベルで十分、数学IAからIIICは参考書と資料集を買って、あと世界史をやって、あと学び方のハウツー本でも読んでいればいいと考えていたらしいフシがある。いや、実際メモにそう書いてるんですが。 しかし「園芸 ローズマリー」ってなんだろう……記憶にいい匂いとかでもするのかな。 過去のメモを発掘してしまった(KOKUYO WEARABLE MEMO A7 SIZE メ-C353 40 sheets) >> 国語73、数学43という偏差値の 格差を どうにかしなければならぬ むしろ 積極的に理系に進む 哲学の志望は ひとまずおいておく << >> 確かに文系人間である 人文科学で社会に貢献する自信は あるし、能力もある だが数学から 逃げるというのも 気にいらない << >> 数学は才能であると人は云う だが、国語は才能ではないのか 学ぶとは 先人の功績を知ること である、道はあらかじめ存在する 道をきりひらくことには才能 というか センスのようなものが 必要であろう << >> だが、学ぶということならどうか これは努力の及ぶところである はずだ 生まれてすぐ万能だった人間は いない 生まれたばかりの人間は全て 無力である 努力のつみかさねで 成長しているのだ << あいたたたたた ダイアリー下書き(旧その4) 「自省録」の書評っぽいエントリ。ところどころぶつ切れで、全体としてまとまりに欠け、水準に達していないので未公開で放置(じゃあ、公開している記事は水準に達しているのかと言われると……)。 ある不幸な事故で亡くなった人物のアパートで、その人の遺稿が発見された。そこには、友人に宛てた日付のない手紙が添えられていた。 >>  いつか君に、こんなことを話したのを、君はたぶん覚えているだろう。私は万難を排して、日記のようなものをずっとつけており、いつかは、それを君にあずけたいと思っているということを。それが、これなのだ。  誰かがそれを読むだろうとは、まるで考えもしないで、書きはじめたものだ。(中略((投稿者による中略)))もし君が、出版に値するものと思うなら、どうか出版してくれ給え。――私と私自身との、そうしてまた神とのかかわり合いに関するいわば白書のようなものとして。
レイフ・ベルフラーゲへの手紙
<< まとめられた遺稿は、わずかに一冊分。まず1925年から1930年、青年期のいわば習作的な数篇から始まり、その後しばらくの間をおいて、彼が大蔵次官((今は財務次官と書くべきなのだろうか?))であった1941年から、国連事務総長として死ぬ1961年までの、彼の人生の断片を示している((前述の友人らが遺構を整理した可能性はあるが、ここではそこまで深く追求しない))。 [asin:4622049376:detail] 僕はあるていど青春の葛藤を済ませたあとでこの本を読んだ。ちょうどいいころあいだったと思う。 何かしら異常な事件が起きるたびに、被疑者の人となりや、近所での評判や、その半生や、中学の卒業文集が事細かに報じられ、そこに何かしらの共通点を見出しては心を痛めていた。それはどうやら間違いだった。 >> お前は、ほめられると胸がむかつく。それでいて、お前の価値を認めないものには禍あれと思う。
1941~1942年
<< >> ともあれ、おまえはほかの人たちを軽蔑していながら、自尊心を後生大事に守りつつ、あいかわらず彼らの敬意を求めようとするのである。
1950年
<< 半世紀以上も前に同じことを書いていた人がいるのだから、僕も大してユニークな人間ではないなあ、と気づくと同時に、「けっきょく誰でも通る道か」ということが実感できた。時として自分の思考の下劣さに呆れ果てることもあるが、それもやむをえまいと思うようになった。考え方はラスコーリニコフだったが、ラスコーリニコフ本人にはぜんっぜん感情移入できなかった僕にとって浄化作用を果たしてくれた本といえるかもしれない。重要なのは、自分の自分に対する違和感をこの先ずっと持ち続けることであって、いちいち自分が駄目人間だとあげつらうことではないのだ。 そして、政治家というものが、人間であることにも気づかされた。 なにしろハマーショルドはエリート中のエリートなので、あまりのエリート臭が鼻につくこともなくはないのだが、。 >> なにを恐れることがあろう。 彼らの矢が命中し、 そして、私を殺そうと、 どうして泣くことがあろう。 ほかにも、先にいった人がいる。 ほかにも、あとから来る人たちがいる――
1961年6月8日
<< マルクス・アウレリウスと違って、キリスト教を弾圧するという致命的な失敗((二重の意味で。J.S.ミルが『自由論』で述べたように、共感できるはずの相手を迫害したということと、ただでさえ被害者意識の強いキリスト教によけい弾圧されました意識を植え付けたということ。))もない。 当然のことながらハマーショルドについて知識はなく、当時の社会情勢や、彼の政治的功績について論評するだけの能力もない。ほとんど偏見がないということだ。単なる昔の偉い人である((国連事務総長が本当に「偉い人」かどうかは、「エジソンは偉い人、そんなの常識」などという歌同様にさておく。))。 ダイアリー下書き(旧その3) 2009-04-14 22:59:16 一応まとまっているけど、ダイアリーのカラーに合わないので非公開に。 [雑記]以前以後 にんべんのかつおぶし削りぶしパック「本枯鰹節物語」パッケージに興味深いことが書いてありました。 江戸時代のこと、大坂から江戸まで船で鰹節を輸送していると、鰹節の表面にカビが吹いてしまい、鰹節問屋はそれを削って蔵に保管するものの、その後も新たにカビが生えてはふき取る、生えてはふき取るの繰り返し。ところがじつは、カビの発酵作用のおかげで鰹節のうまみが増し、生臭さも減って香りがよくなった、というオチなのですが、しかしカビを削っただけでよしというのは、商売人の倫理としてはどうなんでしょうかね……。昔の人は気にしなかったってことでしょうか。 今こんなことをしたらたちまち大炎上ですね。 Amazonではなく楽天側だけど、はまぞうにデータがあった。紹介することにそれほど意味はありません。 [rakuten:ninben:688947:detail] ダイアリー下書き(旧その2) 2009-05-10 19:07:45 書き途中を放置 それにしても、180万部でアニメ化で映画化ですよ…… [雑感]オンラインに生きる(PART2) 僕が[http://d.hatena.ne.jp/islecape/20081105/p1:title=このエントリで]批判したこともあるハックルベリーの人ことid:aurelianoが、417 Usersのブックマークを集めて約束どおり個人情報を公開したとかなんとか。そういう芸風なんですねーとしか言いようがない。僕はブックマークしなかったし、そのプロフィールエントリも拝見してないけれども、なにしろ狭いはてな村のこと、嫌でも情報が漏れ伝わってくる。まあ、これからが正念場ですね。 僕の場合、誰かがislecapeで検索して「中の人」の情報にたどり着けるかどうかはわからない。一方で「中の人」のフルネームで検索すれば、わりと簡単に当たりをつけられるようになっている(ようだ)。そういうわけで僕の知り合いがここにやってくることもありえなくはない話なのだが、誰も来ないところをみると、遠巻きにニヤニヤしているだけか、あるいは誰も僕のことなど気にしてないかのどっちか。 政治の話題に首を突っ込んだり、いろいろ危なっかしいことはしているし、それで忠告されることもあるが、しかしそれで白眼視されるような社会だとすれば、社会のほうがおかしいのだ。この国には「個々人の意見が違うのは当たり前」という前提がない。「人は調和するのが当然」なんて考え方だから、相手を論難するとき人格まで全否定になるんじゃないかなあと思うのだが。 自分から公開しようとも思わないけど、公開されて困るとも思っていない。もしバレたら、その時はその時かなーくらいの感じ。余勢をかって一気にのしあがる、なんてことはできるだろうか。 ダイアリー下書き(旧その1) 2010年10月のもの 書き途中を放置 [雑記]僕は死なないつもりだ。テキストの断片になって生き続けるつもりだ 先月、このWebサービスで相互お気に入り状態にあった人が退会した。半年すれ違っただけで、ひとことも言葉を交わしたことのない人だ。 ちかごろ忙しさにかまけて放置していたRSSリーダーには、その人のブログに記された「最後の挨拶」がフィードとして残されていた。アクセスしたがもう遅い。「ページが見つかりません」という表示が出るだけだった。 わずかに残されたRSSフィードから、その人がなにごとか悩んでいたことはうかがえた。仮に僕がそれに気づいていたとして、なにができたということはなかっただろうが、その人の悩みに気づかずにいたことに気が咎める(そしてさらに、すべて手遅れとなった状況で、人の悩みを覗きみていることも正直どうかと思う)。 知り合った人の何人かは、どこかに去った。去ったことが問題なのではない。Webサービスの退会は死ではないのだから。そこにある目に見えないわずかなつながりが切れたことに、大げさに反応しているだけだ。これはあくまでも僕の問題でしかない。 その人とすれ違っていたサービスにアクセスすることも苦痛になってきた。それも本来おかしな話なのだが、どうしても親しい人の死を想起してしまう。これは僕自身の勝手な思い込みでしかない。むしろWebでのつながりにそこまで思い入れを持つのがどうかしていると言われるのだが。 ダイアリー用の下書き。一時間で書けず、時間切れにつき放置。 *p1*[雑感]他者不信社会 先日、NHK-BSで放送されていた海外のニュース情報番組((「ジム・レーラー・ニュースアワー」だと思う))を聞き流していたところ、ある政治家が「いまの市民は、自分の主張の90%が認められるだけではだめです。99.9%でもだめです。100%でなければ納得しません。とりあえず70%で合意して、さらに話しあい粘り強く合意形成をはかっていくことができなくなっています」というようなことを言っていた((うろおぼえ))。(導入) 東京都の性表現創作物に対する販売規制条例(東京都青少年健全育成条例改正案)について、Web(の一部)で先月末から賛成・反対で囂しくなっているのを見聞きしている((僕は現在はてなブックマークとTwitterから離れさまざまなWebサービスを漂泊中なので、RSSリーダーでざっと眺めている程度だが、僕の見ている範囲では相当な関心を持たれているようだ))。そこで感じたのは、「合意形成」をはかる意図の不足である。(前書き) (中略) 僕の人生には成人向けゲームも成人向け漫画も必要ない。酒も煙草も賭博もなくてよい。しかし、それらが社会全体で規制されるとなれば話は別である。表現の自由の足枷になりそうな事柄については一切反対する。こうした立場からすれば、都条例に反対するのは自らの利害意識のなせるわざとは言える。(自分の立場の規定) 個人的には「あらゆる表現規制というものについて反対」なのだが、こうした極端な意見はともかく、「子供に見せたくない漫画」というようなものがあるというところから規制推進派・反対派とも話し合いの余地はあったろうに、ただ「規制する」と言いつのられ、押し切られたような感じはする。性的な情報を隠蔽したがる傾向を持つ人と(略) 他者を信頼しない最たるものが国家及びそれに類する権力、というような文章を挿入 (中略) >> 【記者】話が行ったり来たりで申しわけないのですが、青少年条例の話についてです。刑罰法規に触れる性交、もしくは性交類似行為などを不当に賛美、または誇張にするようにという「不当に賛美または誇張」というのが大変あいまいというような指摘が出ているのですが、具体的にどういった表現が不当に賛美または誇張するものに当たるのか、具体的に知事の方から……。 【知事】漫画見てごらんよ、不当に賛美して誇張しているよ。ああいうもののこと言っているんだ。現物見てこいよ。   はい、それじゃ。
石原知事定例記者会見録 http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/TEXT/2010/101203.htm
<< 権力(強制力)に対する「その法律が何を規制するのか」という質問にとりつくしまもない(「不当に賛美または誇張する」というが、そもそも法律的に言って「不当」とはいったいどういうことか?)。 まあ、この人はこういう人なので、別に(どうでも)よいのである。問題は、このように政治家としてまったく不誠実な態度を取る人だということを知ってか知らずか、いつまでもこの人に投票する有権者がいるということにすぎない。 あるいは、そういう有権者で構成されている社会であるからこそ、もう一度「やり直し」を求められているのかもしれない。それはほとんど「下賜された」といっていい自由、棚ぼた的に得た権利であって、「気づいたら持っていた」我々にはまったくふさわしくないものかもしれないから。 (なんかまた例によって話がずれてるような。「他者信頼」という話のはずが) 以下の文章は2009-05-18 21:12:40の下書き。テーマが似ているのでついでに。 ところで、今回のゲームは3Dらしいので、そのへんも狙われたのだろうか。以前、松文館裁判というのがあって、そのときも「絵がリアルだったから」なんて話があった。萌系のイラストはリテラシーがないと扇情的に見えないってことか。なんか不条理だ((僕自身、最近絵柄がリアル寄りになりつつあり、「つまらない」「あまり萌えない」とか言われるたりしてるけど、どうなんだろう。))。仮に性的表現を規制されたらどうするかは、素人である僕自身としてもわりに悩ましい問題である。あくまでも反権力で戦い通したいとは思わないけれども、自分が描きたいように描いたら国ににらまれた、というようなことはありうる(エルフやネーバルウィッチはどうなるんだろうってことは前にも書いた)。そうなったら検察官になんて言おう。あなたにはこれが猥褻に見えるのですか、とか? そんな間抜けなやりとりが裁判記録に残るのはいやだなあ。 http://www.amazon.co.jp/JAWS-%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%BA-%E3%80%90%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%9F%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3/1800%E3%80%91-DVD-%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0/dp/B0026P1KCY/ref=sr_1_1?s=dvd&ie=UTF8&qid=1290264326&sr=1-1 http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%83%E3%82%AF-DVD-%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC/dp/B00005HUE4/ref=sr_1_2?s=dvd&ie=UTF8&qid=1290264286&sr=1-2 http://www.amazon.co.jp/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC-%E7%89%B9%E5%88%A5%E7%89%88-DVD-%E3%83%AC%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3/dp/B00005HC51/ref=sr_1_4?s=dvd&ie=UTF8&qid=1290264310&sr=1-4 http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%8B%E3%82%B9-DVD-%E3%83%80%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC/dp/B002CLSO2G/ref=sr_1_1?s=dvd&ie=UTF8&qid=1290264275&sr=1-1 http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%84%E3%83%8A%E3%83%9F-DVD-%E3%83%87%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC/dp/B003SMUMC8/ref=sr_1_1?s=dvd&ie=UTF8&qid=1290264286&sr=1-1 ホームズを上回っておる。 退避させたテキスト 中途半端に語っているのでそのうちもうちょっとじっくり描きたい、と思いつつ。 **[wikipedia:十五少年漂流記] 幼稚園のとき「そろそろ漫画だけじゃなく活字も読め」と父が買ってきたリトールド版。大きくなってから創元文庫版を買って読んだらすごく階級意識が鼻につくんですけど(どうしてウルトラレフトな父がこれを買ってきたのやら)、やはり面白いですね。正直いって『蝿の王』はちょっと。 **[wikipedia:シャーロック・ホームズ]シリーズ これは『十五少年漂流記』のあと、母が買ってきたリトールド版。母方は祖父母の代からホームズ好きで、僕もまんまと引っかかってしまいました。代表的なバージョンは全て読み、『シャーロック・ホームズ事典』を座右に、「ホームズ」と題名にあれば「バトルホームズ」とか「デジタルホームズ」とかでも買うという程度にはホームズ好きです。最近はもっぱら正典読みですけど。 他に、親から半強制されてそれでも「まあ面白かったかな」と言えるのは、五味川純平『人間の條件』と高橋和巳『邪宗門』。あと宮沢賢治。 個人的にはアダム・ダルグリッシュものが好きなので、やはり我ながらひねくれたなあと思う。 SFとラノベは別稿で。 なんか漫画がつまらんとかなんとか騒いでますね。別に読まなくても死ぬわけじゃないし、どうでもいいとは思いますけど。 **[wikipedia:ドラえもん] 基本中の基本ですね。SF的なものの初めての1冊としても。僕は、ドラえもんは未来政府が派遣してきたエージェントだと思います。アニメの二代目声優ですか? 1ヵ月で慣れました(もちろんあくまでも初代声優がオリジナルだと思っていますけど)。小学校の時に、一度卒業宣言して(それであとあと家族によくからかわれます)、再入学しましたが何か。 **[wikipedia:忍者武芸帳] こんなものを幼稚園のころから読んでいたという時点でちょっと何かはじまってる感じがしますよ。ことごとく死ぬ若い娘さんたちに人生の無情を感じました。もちろん白土三平は父の趣味です。母の趣味である[wikipedia:ブッダ (漫画) ]はイマイチ興味が引かれませんでした。やっぱり絵かな。手塚治虫「サボテンくん」、杉浦茂「弾丸トミー」、白土三平「狼少年キム」という、いまいちチョイスがわからない西部劇漫画アンソロジーがあるのですが、キムばっかり読んでました。 **[wikipedia:バイトくん] 正確には『バイトくん2』以降ですね。オリジナルは読んだことはありません。「大学生って、ちょっと嫌だなあ、あんまりなりたくないなあ」などと思いました。いやまあ就学前児童の考えることですから。『バイトくん』も父の趣味ですが、いしいひさいちよりもうちょっと洗練された空気を、母が持っていた永島慎二の短編集(漫画のおべんとうばこ)から感じました。これら1970年代の青春みたいな雰囲気に、なぜか僕も郷愁を感じてしまいます。 **[wikipedia:カムイ伝] カムイ伝はだんだん絵が恐くなってくるので、幼稚園児にはちょっと無理。小学校に上がってしばらくしてから、ようやっと第一部を読み終えました。やっぱり赤目ですねえ。でも横目も好きです。錦丹波もいいなあ。そういうわけで、正直いって第二部はちょっと……と思わないではないですよ。漫画としては面白いんですけど。ああ、第三部……。 **[wikipedia:ブラック・ジャック]&[wikipedia:ギャラリーフェイク] これらはもちろん対の作品というわけではありませんが、どちらも好きです。僕は美大志望でしたし、『ギャラリーフェイク』の方が腑に落ちる感じでした。『ブラック・ジャック』はどうしてもピノコが好きになれないので、そこが引っかかるんですよねー、とか言いつつシャーロック・ホームズと赤毛のアンの抱合せ漫画を描いているのが僕。 **[wikipedia:トライガン] 自分はもう大人だ! とか思い込んでいた一時期、ほとんど漫画を読まなくなっていったのですが、そんな僕を漫画に引きずり戻したのがこれ。たまたま見たアニメから引きずり込まれました。というわけで、ちょっと不幸な(というか痛い)一件もありましたけど、僕にとってはとても重要な作品です。ええ。トライガンには相当ぶっ込んだ((作者がスポーンに相当ぶっ込んだほどではないでしょうが。))ので、作者のフィギュアコレクションの1つか2つは僕のお金です。間違いありません。 **[wikipedia:バットマン:ダークナイト・リターンズ ] アメコミ食わず嫌いだった僕がどうしてこれを買ったのかいまだに謎ですが、筋肉マンが筋肉ゼリフを言いつつ殴り合うだけの漫画ではとっくになくなっていたのですね。10代はアナーキーなバットマンしか眼中にありませんでしたが、年をとったせいか『ピース・オン・アース』ですっかりスーパーマン好きになってしまいました。 **[wikipedia:エビアンワンダー] 最初はコマ割りの仕方や話の流れの飛び方などがぜんぜん理解できませんでした。「いかん、僕も年とった」って感じ。どういうわけか、主人公にやたら感情移入しました。お恥ずかしい話ですが、夢中になって読んだので、「オチ」はぜんぜん予想できませんでしたよ(僕はだいたい斜に構えているのでどんな作品もだいたい想定内に収まります)。人に勧めるなら[wikipedia:鋼の錬金術師]や[wikipedia:ユーベルブラッド]かな、とは思いますが、個人的に強い印象に残っている作品です。 おまけ: 特に作品を限定しない場合、[wikipedia:谷川史子]、[wikipedia:大石まさる]、各氏が僕の趣味ですかね。 どこかで書いたような書かなかったような 言葉は永続する武器、原語は刹那の武器 といったようなことをどこかで。まあペンは剣よりの類だが。 近代市民社会が結局ファシズムやホロコーストを招いたということに対する反省はあるのか。それは現代思想にも投げかけられる問いかけである。 あとぜんぜん関係ないが、Googleリーダー、元記事を修正したら修正される/されなくなるのタイミングはどこだろう。現段階ではもうhttp://d.hatena.ne.jp/islecape/20100318/vrは変化なし。DVD/Blu-rayに関する情報アップデートが無効だった。 きらわれているのかもしれない 人には相性があり、どうしても好き嫌いというものがある。 Webという五感とはかけ離れたテキストベースの交際でも、「なんか嫌われてるな……」というふうに感じることは少なくない。もしかしたらこちらの思い過ごしなのかもしれないが、いくらなんでも「あなた、僕のこと嫌いでしょう」などと聞くわけにもいかず、これでけっこう苦悶する日々である。 たとえば、最初のうちは仲良く話す間柄であったのが、ちょっと意見が違ったために何となく疎遠になり、そのままフェードアウトしてしまうとか、あるいはわりと書きたい放題に書いているので、それがちょっと不興を買っていたり。 わりと仲良くしてもらっている人と、僕を嫌っている(のではないかと僕が思いこんでいる)人が仲良しだったりもするので、その二人が仲良く会話しているところに割り込まないというのは当然だが、こういうときは僕の存在する気配すら感じさせてはいけない。はてなスター((はてなユーザーが使える、星型の絵文字で表現されるWeb拍手。))すら押さない。こうなるともはやエクストリームスポーツである。 たかいところにある どういうわけか、住んでいる地域の公共施設が高いところにある。 区役所を筆頭に、区役所の出張所も、警察署も、なんと図書館まで、施設の入り口前に階段があって、それを上らないと入れない。消防署はそうではなかったが((消防署は市民が訪れるような「施設」ではないけれども。))たぶん消防車や救急車が出動するとき段差があるといろいろ難儀するからだろう。 それにしても、いったいどういうつもりなのだ、あれは。最近はバリアフリーの概念もだいぶ広がっているが、それで階段の隣にわざわざスロープを用意してあるというのがまったくもってお役所仕事的だ。「公共施設は常に市民より二、三段高くあるべし」というような法律があるのだろうか。 なにしろバリアフリーについて言われたあとに作られた施設さえ階段つきである。そこまでするなら最初から段差なんかもうけなければいいのに、と思わざるを得ない。最近じゃ都バスさえノンステップバスが増えているというのに。 (下書き状態。もう少しユーモアを加えたい) ・階段は洪水の時のため説 ・階段は試練の象徴説 ・階段で高くなった部分に埋蔵金説 ・仮の姿。本体は別のところにある 市民の好感度を得るためにできることはなにか? ・土下埋まり ・成層圏ツアー