この世で最も愚かな女の胎内に、僕の魂は宿った。
それが不幸の始まり。誰にとってかって? それはわからない。
ただ、僕が今も大事に手帳にしまっているその写真には。
病院の中で、笑顔の両親と、赤ちゃんの僕が写っている。
この瞬間だけは、僕は祝福されていたのかもしれない。
少なくともそう錯覚させられる一枚であることに間違いはないのだ。
実際はどうかって?
そりゃね、物心ついた頃から母さんと2人暮らし、平穏なんてなかったよ。
「おまえなんか産まなきゃよかった」なんて、何度言われたかも覚えてないくらい。罵声も暴力も浴びせられた。
「じゃあ、どうして僕を産んだの?」
そう訊ねてみたこともあったけど、返ってきたのは平手打ち。僕は抵抗するのを止めた。
母さんはいつもピリピリしていて、僕がテストで100点を取れなかったら、それはもう容赦無かった。
父さんは見てみぬふりで、酷い男だったとは思うのだけど、父さんとの記憶はほとんど無いのでそこまで憎くはない。
まあ、父さんの本妻に凄い目で睨まれたのは、今でもちょっとしたトラウマだけどね。
そう。僕の母さんは、父さんの愛人だった。美人なのが取り得だけど、頭も股もゆるい女でね。
「本当に愛してるのは君だけだよ」――なんて囁きを真に受けちゃったわけだ。
ほら、母さん、家でよく泣いてたもん。
「私はあの人のことを心から愛していたのよ、それなのに……!」って。
……もう二度と、そんな台詞は言わせないけどね?
母さんが僕を嫌っている理由は、そんな父の面影があることと……もう一つ、ある。
生まれつき、僕は人の「死」が見えた。
エクスブレインみたいに正確な死因や場所は特定できないけれど、死が身近にあったことは確かだ。
赤ん坊の頃から、僕が泣くと事故があったり、人が死んだ、らしい。
喋れるようになると今度は、「あっ……あの人、死んじゃう。あっちの人も。どうしよう」
本当にその通りになっちゃうんだから、母さんは酷く気味悪がった。
二度とそんなことを口走らないで。気味が悪いったらありゃしないわ――
そう言われたものだから、僕は素直に承知した。けれど、しばらくして。
夕飯時、たまたま流れていたニュースに僕は動揺した。
ビルの屋上から飛び降りようとしている人がいる。僕にはその人が死ぬことがわかったんだ。
そんな僕の様子を母さんは不審がり、ニュースは残酷にもそのままの事実を報道した。
それでたまりにたまりかねた母さんはテーブルに並べた夕飯をぶちまけて、こう言い放った。
「おまえは、悪魔の子なの……? もう嫌、私の子だなんて思いたくもないわ!」
その時はさすがに言いすぎた、と後で謝られたものだけど、僕は冷静に思った。
ああ、そうなのかもしれないな。僕は悪魔か死神なんだって。
だから母さんが癇癪を起こしやすいのも、全部僕のせいなんだって納得した。
けれど、成長するにつれ、性や避妊の知識だってついてくる。
そうすると、やはり疑問が残るのだ。不満、とも取れるかもしれない。
そんなある日のことだった。
戸棚の整理をしていたら、一枚の写真を発見してしまい、僕は咄嗟にそれを隠した。
今も手帳に忍ばせてある、あの写真だ。
初めて見た時はショックだったな。あんな笑顔の両親に囲まれた記憶なんてなかったから。
写真の中にいる父さんが、腹の底で何を考えていたかは知らないけれど、そんなの関係ない。
僕の理想の家族像がそこにあった。
それからしばらくして――そう、その日はやけに月が紅いのが印象的な夜だった。
昔から、満月の晩には犯罪率が上昇するって言うけれど、それと似たようなものかな。
直感でわかったんだ。僕には人が殺せる。紅き月に導かれ、僕は殺人鬼として覚醒した。
悪魔の子……か。あながち間違いじゃなかったのかもしれないな、なんて自嘲しながら。
人を殺せるなら、まずはこの世で最も憎い人物がいいな。となると、当然。
僕は母さんを見つけると、真っ先にその喉元にナイフを突きつけた。
母さんは怯えきって声も出ない様子だった。あっけないものだ。
なんだ。その気にさえなれば、こんなに簡単に殺せるものなんだな、人ってのは。
けれど結局殺せなかったのは、ふいにあの写真の記憶が蘇ったせいだ。
殺してしまえば、もっと楽になれたかもしれないのにね。
僕は震える手でナイフを突きつけたまま、静かに問い質した。
「ねえ、母さん。どうして僕を産んだの……?」
あの日から急に母さんは大人しくなり、僕の命令なら何でも従うようになった。
僕がハイテンションで笑い上戸の「ボク」を演じるようになったのも、あの頃からだったと思う。
今通っている武蔵坂学園には、「普通」じゃない境遇の奴が何人もいるらしい、けれど。
だからと言ってそう簡単に心を開くのは危険すぎる、と僕は思う。
信頼なんて到底できない。人間は嫌いだから。女はもっと嫌いだ。
学園ではマザコンを公言している「ボク」だけど、それはあながち嘘じゃないな。
僕は母さんが好きだ。美人で、僕の世話をしてくれて、何でも言うことを聞いてくれる。ただ、それだけ。
好きだけど、愛してなんかいないよ。そもそも、愛することの意味を知らない。教わらなかったからね。
「ただいま! 会いたかったよ、母さん!」
ほら、今日も「ボク」は学園から帰宅し、精一杯の笑顔をふりまく。
母さんはあの一件以来神経を病んだらしいけど、そんなこと知ったこっちゃない。元からだろうしね。
「ボクね、ボクをこの世に生んでくれた母さんのことが大好きだよ!」
そうやって母さんを脅すのが、楽しくて仕方がない。
何度も許しを乞われたものだけど、死ぬまで許してやるもんか。
それが、僕を産んだことに対する、罰なんだから――