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「ある表現は別の誰かを傷つけることがあるが、それでも表現の自由を制限することによって起きるおそれのある事態に比べれば、その少数者は『自由な状態』を甘受せざるをえない」というような「表現の自由」至上主義的立場があるが、それとは別に「ある表現」を愛好する人の一部が被差別意識のような感覚を募らせているらしい。その人たちは、自分の愛好する表現が別の人に対する差別意識を含んでいることを知ってかしらずか、自分の人格を攻撃されているような受け止め方をして反発し、あまり内省の方向に向かわない。ある意味ではその少数者が攻撃されることも『表現において自由な状態』ではある。もちろんそれに対して抗議の声を上げることはあっていい。だが、この状態は自体の打開には寄与しないように思う。
(問題はここで二者対立でなく三者対立になっているというところか)
あとでつけたし
その「ある表現」について僕は若干否定的だが「見ることを強制される」ようなことがないかぎりあっていいと考える。というか規制されるべきではない。緩やかなゾーニング論? しかし規制派・反規制派が100%の勝利を求めるような状況になっているのでなんとも。