凍えるような冷気が身に染みる。
暗がりのなか、ほんのわずかな光にもアネスティアの息は白くきらめいた。
痛いほどの静寂。視線の先には巨大な怪物が肉を貪り喰らう音だけが響いている。
やはりせめてコートを羽織ってくるべきだった。あの怪物、どうせこちらのいうことに聞く耳など持たないだろうが、舐められるのも癪だ。アネスティアは寒さに声を震わせないよう注意を払った。
「さあランチは終わり。もう逃さないからね!」
寒さのことで頭がいっぱいだったせいだろうが、わりとお定まりなセリフだ。もう少し詩的な事をいえる舌が欲しい。
遺伝子工学の成果になる四つ目の六本足がアネスティアを認めた。奇怪で醜悪で凶暴そうな顔立ちが、熱く火照った口から肉汁と鮮血とを滴らせて鋭い歯をむく。
威嚇している。
「おいアネス、俺を使えよ! 早く終わらせようぜ。こんな生意気な奴、マジ光速で極楽行きだぜ」
多目的光線銃のロナルドが不敵な笑みを浮かべた。もちろん光線銃に顔などないが、声の調子でわかるのだ。
「でも、あなたの耐用環境はマイナス10度から40度まででしょ」アネスティアは腰のホルスターの中でぶつくさいう相棒を軽く叩き、言い含めるようにした。「保証期間終わってるんだから、張り切りすぎてショートして部品交換とか冗談じゃないわ」
怪物が今までかじりついていた無残な肉塊を払いのけた。態度からは十分満腹している様子がうかがえた。前ぶれなく、そして反動なしに軽々と飛ぶ。
自分に襲い来るものと油断なく身構えていたアネスティアは、かえって虚をつかれた。アネスティアを飛び越える勢いだ。余計な争いは避ける心づもりらしい。
実に賢い。
唱術の短縮省略にも限界があるが、慌てる必要はない。飾り気なく爪を切りそろえた指でリストコムをひとなで。バックポーチから取り出した〈素材〉の入ったポーションを地面に投げつけ、たたき割って解放する。
魔法が発動した。
この怪物のために特別にあつらえたものなので、汎用性はない。特許が取れるほど高等な代物でもない。怪物の特殊な脳神経系と体組織構成とを把握するのには多少骨が折れた。シミュレーションにも手間取った。コーヒーと詩集のひとときを我慢しての、二時間に及ぶ努力の結晶。
効果は抜群だ。怪物は着地したあと、再び跳躍しようと足を整えるように揃えたところで一瞬静止し、それから静かに倒れた。
「やったぜ、ザマーミロい!」ロニーが快哉を叫ぶ。
「もういいですよ」アネスティアは、ほっとしながらリストコムの通信機能で任務の終了を告げた。
照明のない巨大な冷凍庫の半開きの扉から、つるつるの禿頭がおそるおそるのぞいた。
肉屋のおじさんの頭だ。