搭乗手続きを待つ間もどこか現実感がなくて窓の外の飛行機を眺めていた。おもちゃのスーツケースをひきずる白人の女の子。目が合うと無邪気そのものの笑みを返してくれた。このぐらいの年頃ならまだ辛いことも楽しいことも、全部声にだして言える。笑顔を振りまき、泣き叫び、疲れて眠る。なぜ、自分の感情なんていちばん簡単そうで一番に自分がわかりそうなものが、大人になるとわからなくなってしまうんだろう。それをため込んで体に不調をきたしたりしてしまうんだろう。大人になんてなりたくなかったな。私は大人になってしまったんだろうか。
狭いシートに乗り込む。両隣りは日本人で、感じのいい態度をとってくれたので安心できた。空調が少し利きすぎていて寒い。備え付けのブランケットを被り、ジャケットを膝にかける。搭乗が少し遅れていてざわざわしている。空席はほとんど見えない。
「キチョウヨリオシラセシマス・・・」片言の日本語のアナウンスが流れる。続いて英語のアナウンスも。電子機器の電源を切り、シートベルトを締めること。車体が少しずつ動き出しているのがわかる。3席分向こうの窓から見える景色が動いてる。もう夏なんだ、18時なのにとても明るい。滑走路までが長いなあと毎度のこと思う。いつ飛び立つのか、その瞬間を今か今かと待ち焦がれる。ゆるやかに進んでいた機体はある瞬間から唸りをあげて加速をつける。飛び立つその瞬間のために。飛行機が飛ぶ原理はいまだに解明されていないと聞いたことがあるけれど、本当なのだろうか。まだ車輪は地についている。がたがたと揺れながら地面を這っている。なんともいえない、あ、今浮いた、という感覚があって、体がどんどん空にのぼっていく。こわいような、楽しいような、不思議なきもち。遠ざかる空港、見送りに来てくれた親、恋人。一か月も離れてたら心変わりされても仕方ないよなーとも思う。その分せめて、わたしが彼を思う気持ちは変わりませんように。不変のものなんてないって、知ってるけれど。
ややあって飲み物や機内食の配布がはじまる。今日はサーモンかビーフを選べるそうだ。迷わずビーフと、オレンジジュースを選ぶ。薬がたくさんあるのでバッグから取り出して飲む準備をする。風邪薬が、5種類と、皮膚疾患の薬が一種類。空港で買った香酢とヘム鉄のサプリメントも飲むことにする。出発前の一週間は、旅立つ準備や片づけに追われて、疲労困憊し体調をくずしてしまった。病院で、旅行に行くので・・・と言って少し多めに薬をもらっているので、万が一旅先で体調を崩しても安心だ。そうならないといいなとおもうけど。
食事の量がやけに多い。バジルソースのマカロニサラダ、稲荷ずしと海老の握りずし、パンとバター、クラッカーとクリームチーズ、ビーフシチューとライス。デザートにチーズケーキまでついている。デザートは食べきれずに残す・・・・・・炭水化物の比率が多すぎではなかろうか。しかもパンは袋に入った冷えてるやつだし。ほかほかのパンにバターをつけて食べるのが好きなのになー。
狭い座席に12時間半も座っていて楽しみなことなんて食事と映画くらいなものなので、とりあえずなにか面白そうなものがないかチェック。食堂かたつむりを見る。映画として面白かったとは言えないけれど、訴えてくるものがある作品だった。ツッコミどころもおおかったけど。
これはまだほんの始まりに過ぎなくて、そもそもまだ目的地についてすらいないし、何も決めなくていいのかと思うと心が楽になった。毎日毎日何かを選んで決めて、電車に乗って、人と会う毎日。うんざりだった。もう何も決めたくない。もう誰かに何をやりたいかなんて聞かれたくない。そんなことを聞かれるたびに私は、これをやりたいんですと広い広い海みたいな自分の心のなかのたった一部分を馬鹿みたいな形に切り取って相手に見せなければいけなかった。海を切り取ることなんてできないしたとえそこから何かを取り出したとして、そんなもの海面に漂っている一切れのワカメぐらいの存在にすぎない。ワカメを見ただけで海のすべてをわかったような気になった勘違い野郎が、水の中に全裸で飛び込んでくる瞬間、吐き気を催しそうになった。せめて海洋生物学をみっちり6年くらい学んでから来ていただきたい。イルカと話せるようになれ。タコに求婚しろ。フナムシを頭に乗せて、アシカの腹の下で眠ったらいいんじゃないか。ひとびとは勝手に告げては去っていくのです。
そんなことをぼんやり考えたり本を読んだりしているうちにもうNYに着いていた。早い。