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最後の数日間のリマ。
American Airlineのオフィスに行くのが目的だったので、リマについてすぐ空港で、英語が話せるタクシーの運ちゃんを探す。
そして交渉。「AAのオフィスに行き、私の用事が終わるまで待って、その後宿に連れて行け」
宿までが25ソルくらいが相場、と聞いていた。AAのオフィスは空港から遠い。運ちゃんは100ソル出せと言ったので、80ソルにまけてもらう。
日本円で2400円。まあ妥当な線だろう。
英語とスペイン語をまじえた交渉で、本当に本当に英語喋れてよかった!と思った。
スペイン語も、もっと勉強しよう…
運ちゃんはAAの場所を知らなかったらしく、無線で仲間のドライバーに場所を聞いている。
そうこうしているうちにどこか判明し、世間話をした。
ワニが見たい、とかアマゾンに行きたいとか言っていたら、俺はツアーガイドもやっているから何かあったら連絡しろと名刺をもらった。
AAのオフィスにたどり着き、交渉をするも微妙なかんじ。とりあえず宿に行こう。宿は初日に泊まった日系ペルー人のひとがやってるとこ。
宿にも若干迷いながら辿り着く。何故か当初言われた額より多めに請求されたのでつっぱねるも、今度はチップをくれという。
これ、断ったんだけどよく考えたら普通にあげるべきでしたね。あんなに色々アレンジメントしてくれたのに。荷物も運んでくれたし。
今度ペルーに行ったらちゃんとあげることにします。マヌーエルさん、世間知らずでごめんなさい。
宿について、ネットして、またイギリスの友達からskypeが飛んできて話したり・・・
この数日間の記憶、あんまない。
ご飯は近所の韓国料理屋に毎日通っていた。
チャプチェバップ、っていう麻婆春雨ごはんみたいな料理にハマっていたんだけど、いかんせん韓国料理。おいしいけど辛い。
ウェイトレスはペルー人。スペイン語で「辛さ控えめ」と伝えなければいけない。
辞書で調べた結果「ポコ ピカンテ」(ポコ=すこし ピカンテ=辛い)と言えば伝わるっぽい。
何日目かの夕飯に訪れた際に、勇気をだして言ってみた。「ポ、ポコ・・・」「ポコピカンテ?」
言い終わる前に補足されたうえに「私もいっつもそうなのよ〜辛過ぎるわよね〜!」的なことを、ウェイトレスのお姉ちゃんは言っていた。
やっぱり辛いよね。
後に判明したのだが、ここのウェイトレスは全員英語が話せた。最初から英語で伝えればよかった・・・。
最終日は謎の日本食モドキをこの店で食べたのですが、まあ言うまでもない結果でありました。
最終日に宿から去る時、タクシーの中からリマの街並を眺めた。
多分、また来るだろうなあ。と確信していた。
空港でペルーのお酒を買うも、何故かトランジットのLAで没収された。
税関で検閲済なのに・・・。預ければ良かった。
むしゃくしゃしたので、LA空港の中のロクシタンでハンドクリームと香水を買った。
帰りの飛行機が5時間遅れになり、ミールチケットをゲットしてタコスを食べた。おいしかった!
空港内に無数に存在する、コンセントがついた柱の一角を陣地にして無限にインターネットし続けた。暇だったし。
時々、近くにいた黒人のお兄ちゃんに荷物を見張っててもらってトイレに行った。
日本人のツアー客が、飛行機が遅れた理由とかミールチケットが配布される事がわかってなかったぽくて(ツアーガイドがどっかに行っちゃったらしい)教えてあげた。
帰国したら日本むちゃくちゃ暑くてぶっ倒れそうでした。
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8時頃ぼんやり起床。
昨日に引き続き若干の曇り空。でも半分は青空。
一時間くらいはなんとなくだらだらする。
相変わらず水圧の強いシャワーを浴びる。
ここで初めて日本から持ってきた石鹸をつかってみる。泡立ちの良さに驚く。すごい・・・!
シャンプー買うのもめんどいし、髪も短くしたのでホテルの石鹸でがしがし洗っていたのですが、
驚くほどのぱさつき。スタイリング剤がいらないほどのきしみ。
それが牛乳石鹸で洗ったとたんに解消されました。そこそこにサラサラ。わーい。
ドライヤーもないので自然乾燥。なんか生きてるって感じするなー。
シャワーを浴びながらうっすらと気づく。寝違えている。首の左側が痛い。
左側を向いたり、水を飲もうと少し上を向くだけでも痛い。
しかし今日はやりたいことがたくさんある。でかけないわけにはいかない。
日本から持ってきている「ぎっくり腰のときに使う塗り薬」を塗布。バンテリンの数十倍の効果があるものです。
とりあえずいつものように広場へむかう。タクシーの運ちゃんによって少しずつルートが違うのが面白い。
広場のネットカフェで数枚のプリントアウトをする。
そのあとは行ってみたかった場所、サンフランシスコ教会へ。内部に人骨でできた蜀台があるらしい。
クスコで割と土地勘を得てきてすぐに辿り着く。が、寝違えた首が痛く思うように歩けない。疲れたので目の前の広場で休憩。
教会の前では何かのパレードのようなものが行われておりブラスバンドとダンスを踊る女性、紙吹雪をまき散らす子供、金のお神輿のようなものを持った隊列が教会からどこかへゆっくりと移動していく。結婚式かなにかなのだろうか。
酸素不足から回復し教会の前へ。開いてない。閉まっている。何故かはわからないが、中に入れそうにはない。
ああ・・・というガッカリ感とともに教会の階段に座り込む。首も痛いし、疲れたし、しばらくぼんやりすることにする。
アルマス広場と違いこの広場にはそんなに人がおらずゆったりとした時間が流れている。
野良犬もひともなんとない感じで歩いて行く。
一匹の大きな白い犬が通りの方から広場の方に走っていき、広場の芝生の上で急に腹を見せ始めた。
そこには誰もいない。よほど撫でてほしいのか、相当ごろごろしている。かなり勢いのある腹見せだ。
そこで気づいた。あ、背中がかゆいんだ。
ひとしきり芝生で背中をかいた犬は颯爽と元来た方向へ走り去って行った。
教会の前をペルー人の少年が足早に通り過ぎる。さっと十字を切りながら。ああ、神様を信じているんだなあと思う。
ふと、写真を撮ってもらいたいと思う。実は旅先で「ハトのポーズ」というヨガのひとつのポーズをして写真を撮ることが趣味なのだ。
しかしハトのポーズはいきなり公衆の面前で行うには少し気恥ずかしいポーズであり、今まで何回も見知らぬひとに笑われている。
恥ずかしいが、このポーズを行うには腰から足の付け根の関節にかけての柔軟性が必要で、誰でもできるポーズではない。
それに綺麗にきまると結構かっこいい。なので行く先々で撮りためている。
今までの旅行は誰かと一緒に行くか、もしくは行った先に友人が居たため簡単に撮ってもらえた。
しかし今回は誰かに頼まなければいけない。あまりにハードルが高い。
誰かに頼まなければ・・・と思いながらもいたずらに時間は過ぎていく。前述した通りひとがあまりいない。通っても足早。
そう思っていたら近くにペルー人のおばちゃんが座った。おばちゃんは世界で一番きさくに話しかけられる存在だ。
「プエデウステートマールフォト?」(写真を撮ってもらえないでしょうか?)
いいよいいよ!と快諾してくれるおばちゃん。教会入り口の十字架をバックに写真を撮ってもらう。
あんたからだ柔らかいわねーなどと言われる。これでコミュニケーションが図れるのもハトのポーズのいいところのひとつ。ということにする。
教会をあとにし歩く。もうひとつ行ってみたい場所があった。市場である。
中央市場といって地球の歩き方曰く針一本から牛の頭ひとつまで何でもそろう、とのこと。
場所は把握していたのでそちらへ歩いて行く。市場の前の教会でお祭りのようなことをやっている。
もしかして今日はお祭りなのだろうか?
市場の中へ足を踏み入れる。地元の人が買い物をするような場所なのですこし緊張。
本当になんでも売っている。最初は服エリア、すぐにフルーツエリアになる。左右にフルーツやフルーツジュースを売る店が並んでいる。
まっすぐ進むと肉エリア。豚一頭まるまるがちらちら視界に見える。
つぎが香辛料エリア。そして野菜、臓物+肉エリア。市場なので物がそのままそこに置いてある。
見た目はまだ耐えられるが、「さっき捌きました☆」みたいな新鮮な臓物の香りで満ちておりおえおえしながら歩く。
奥の方は食堂街になっており、街中のレストランよりはるかに安くご飯が食べられる。
決して衛生的とはいえないが気にならなければどうということはない感じ。
一番気になったのは、市場の近くの道端でインディヘナの女性がバケツに入った飲み物を売っていたこと。
ただの飲み物ならそう気にはならないが、バケツのなかには直径10センチ、体長2メートルはあるであろう蛇がとぐろを巻いてはいっていた。
他の観光客もwow・・・などの声を漏らし覗いていく。
誰も買わない。あれはなんだったのだろうか。飲んでみればよかった。
おなかがすいたので市場を後にし昼食をとりに。
とてつもなく、麺類が食べたかった。
毎日食べたい物がはっきりするのは、自分の長所だと思う。
適当にその辺のレストランへ。
かなりお腹が空いていたためトマトソースパスタとソパミヌータスというスープも頼む。
数分で作れるスープという意味だそう。
近くの席に日本人の男の子が二人座ってテレビでサッカーを見ていた。
やっぱりみんなワールドカップ見てるんだな。
まずソパミヌータスがくる。おいしい。
しかし、やはり量が多い。カレー皿位のスープ皿に表面張力。
そして気づく。極細のパスタが半人前くらい入っている。
味付けはシンプルでパセリと塩コショウ、チキンブイヨンかなにか。
具は玉ねぎ人参パプリカのみじん切り、牛ミンチ。日本に帰っても作りたいと思うくらい気にいった。
そしてメインであるトマトソースパスタ。山盛り。日本なら二人半分くらい。
ひいひい言いながら半分くらいは食べる。こっちに来てから胃袋ちぢんでる感じなので、精一杯。
お腹を満たし歩き出す。次はサントドミンゴ教会、コリカンチャの中へ行こうと思う。
あれだけ横の広場には行っておきながら内部にははいったことがなかった。
10ソルを払って見学する。インカ時代から残る石組みは本当に精巧で美しいという言葉を使って問題ないと思う。
スペインからの征服者がもともとあった太陽の神殿をぶっ壊して建てたというこの教会。
土台の石組みだけは残し上に教会をつくるも、地震があった際にすべて崩れ、残ったのはインカの石組みだけだったとのこと。
中には宗教画などが飾られている。
広場を見下ろせる場所があったので写真などを撮りに。
コリカンチャから広場にかけては段々になっており、そこは美しく整備された庭で、なんとなくラピュタを思わせる。
石の階段にこしかけて広場を見下ろす。山の方の住宅までよく見渡せる。
この広場は遠くインカの時代から人々の憩いの場だったのかな。
コリカンチャにいる間色々なことを考え、今後に繋がるようなアイデアもみつけられた。
やはりこの土地にはなんらかのエネルギーがあるなーと思う。
しかし私は何もお返しできない。それが悔しくなってきた。
またきちんと体調が万全な時に、訪れることができますようにと思う。
たぶん、生きていれば来れるだろう。
歩いて猫のいるおみやげ市場へ。
今日もいた。そして名前はグランデはなくジュ・・・なんとかであることがわかった。
グランデだと思っていたので本名を言われても覚えることができませんでした・・・。
次にわたしがクスコに来る時にグランデはいるだろうか。
ペルーにきて一番悲しかったのは、いまのところグランデとの別れ。
次は民芸品市場。数品のおみやげを購入。
このひとたち場所代払えてるのかしらとおもうなど。
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28日の日記。
目覚めは悪くなかった。しかしいつもと違うことに気づいた。
曇っている。あれほど毎日、憂鬱になるくらい晴天だったのに。
ともかくも行く場所があるので身支度。
水圧の非常に強いシャワーを浴び、ついでに靴下などを手洗い。シャワーなのにすこしのぼせる。
服を身につけ部屋で弱いwifiにドキドキしながらインターネット。
おなかがすいたなー、今日こそはロモサルタード食べたいな。牛肉とトマトとフライドポテトを炒め白米を添えたペルー料理である。
肉と炭水化物。最高の組み合わせだ。
宿の目の前に食堂があるのだがディナータイムに行ってもおばちゃんがぽつんといるだけでやっておらず、
かといってランチタイムに行ってもやってない。おじさんがワールドカップを見ていた。
そのくせ、メニューはだしたりひっこめたりしている。非常に紛らわしい。
ワールドカップだからやってないのか、営業時間が非常に短いのか、それとも旅行者にだす飯はねーよということなのか。
ともかく腹ごしらえだ、と思いまず第一の用事を済ませるために広場へ。
旅行代理店との交渉だ。しかし肝心の航空会社のオフィスが電話に出なかった。
このあと提携の航空会社へも赴くがことごとく失敗。
しょーがない、ごはんたべよう。おなかがすいた。
何日か前から行ってみたい場所があった。土産物屋が集まった建物だ。民芸品センターとか言うらしい。
歩いて行ける距離だ。アグレッシブな走りを見せるペルー人ドライバーに何度か轢かれそうになりながら辿り着く。
全然ひとがいない。やはりインティライミという見どころが終ってからクスコの街は明らかにひとが減っている。
なんとなく奥の方まで行くと食堂が3店舗位ならんでいる。営業しているようだ。
ふらふらーっと歩いて行くとおばちゃんが「うちで食べてきなさいよ!!」と手招きする。
「ロモサルタードある?」「あるわよあるわよ!座んなさい!」
ついに食べられるのだ、ガイドブックでしか見られなかった憧れのあの料理が。期待と空腹で目まいがする。
料理ができるまで手持無沙汰なのでメニューをみる。ミートソーススパゲッティとかあるけど絶対麺が伸びきっているんだろうなー・・・
そうこうしているうちに付け合わせのとうもろこしの塩煎りと、小さな器に入ったたまねぎなどのみじん切りが運ばれる。
たまねぎかーとおもって一口。失敗した。辛い。ものすごく辛い。たまねぎではなく、パプリカだとおもっていたものがどうやら唐辛子だったようでものすごく辛い。
殆ど噛まずに飲み込むがひりひりする。小皿にいれられていてどう見ても薬味だし、気づくべきだった・・・。
やっと本命のロモサルタード。牛肉、たまねぎ、トマト、そしてなぜかフライドポテトをシンプルな味付けで炒めた料理である。
シンプルながらも牛肉のうま味、トマトの酸味が絶妙にマッチ。たまねぎとポテトの食感の違いなどで舌を楽しませてくれる。うまい。
しかも量が多い。とても多い。ご飯も一膳分くらいついている。ご飯のボリュームが多いのはいいことだとおもう。
完食してお土産センターをまわる。ずっと欲しかった色鮮やかな布や毛糸でできた髪飾りなどを購入。
これ、ぜったいふっかけられてんだろうなーと思い値切りに値切って買っているが、そもそも日本円に直せばそのふっかけられている金額さえ激安なのだ。
しかしペルーの物価を考えるとやはり言い値で買うわけにはいかない。
とりあえず今までで買った一番高いものは今日買った布、25ソレス。
日本円にして750円・・・。
意外とアクセサリーの類が可愛かったりするのでまんまとお土産を買いまくっている。
帽子なんかも安い。まあ全体的に安い。暖かいショールも20ソレスで買えたし。帽子は3つで16ソレス。(値切ってる)
需要があるならペルー雑貨のバイヤーでもしたいくらいだ。色味は可愛いしセンスもいいし、日本人に受けるのではないだろうか。
ホテルに戻りロビーインターネットしていると、アジアから来たと思しき人たちに話しかけられる(スペイン語で)
「スペイン語は話せません、英語か日本語しか話せません・・・」
「クスコにどれくらいいるの」「一週間くらい」「いいレストラン知らない?」
一週間もいるならどこかいいとこ知ってるだろという希望があったようなのですが、さほど知らないという現実。
なんとか、説明しづらい歩いて行けるレストランを紹介しつつも、いちばんいいのは広場に行くことだよと教える。
なんとなく自己紹介などをしあう。彼の名前はブライアン。NYに住んでる韓国人。英語、韓国語、スペイン語ぺらぺら。
世の中には二ヶ国語どころか三ヶ国、四ヶ国語が話せるひとがごろごろしててすごいなーと思うなど。
スペイン語は動詞の変格活用がやたらと多く覚えるのは大変そうですが喋るのはそんなに難しくない。
だからスペイン語を勉強しようかなーと思ったのですが、思ったきりあまり興味がわかず・・・
そんな私が今一番喋れるようになりたいのはトルコ語。かわいいから。メルハバ!
そうこうしているうちに彼らによかったら一緒にご飯行く?と誘われる。海外に来ても変わらぬぼっち力を発揮していたのに思わぬお誘い。
七時にロビーと言われたのでぎりぎりまでインターネット。メール返したり宿の予約したり色々。
行先は鶏肉料理専門店。グリルのお店とでも思ってください。四人だったので料理を数品頼みシェア。
ついでにこの旅初のアルコールもいただく。クスケーニャというクスコのビール。普通のと黒が選べたので黒にしてみる。
スープが運ばれてきた。なんかはいってる。足だ。鶏の足。足先。ひいいい となりつつも、スープ自体の味はおいしい。
これは食べられるの?むりむりむり と日本語で言ってたら真似された。 ムリムリ・・・
そしてでてくるグリルチキン。でかい。骨付きとりもも肉、一本。これをナイフとフォークで食べるのは難易度が高い・・・。
NYに住んでいるというブライアン達は器用に、というか綺麗に食べている。
チキンをこそげとりつつ、ビールを飲む。苦みが殆どない、甘めのビール。ビールもそうだけどお酒自体ものすごい久々に飲んだ。おいしかった。
食べ終わると彼らは街に出てまた飲むと言うので私はおとなしくホテルに戻った。こまごまとしたやることが残っていた。
クスコにいるからなのか旅先なのかはわからないが、たかだか数時間で歩いているだけでものすごく疲れる。
ここが高地だからというのも関係しているのかもしれない。酸素が薄いので、少し走っただけですぐ息が切れるのだ。
富士山をも超える標高3400メートル、恐るべし。お陰で4階の部屋にあがるとき、疲れ具合で階数がわかるようになった。もうこれ以上登れない、と思ったら4階だ。
ロビーにいるとブライアン達が戻ってきた。
「質問があるんだけど」
「友達Aの彼女が、Aの元彼女の物を燃やせって言ってるらしいんだ。君はどう思う?」
も、燃やせ・・・燃やすのはどうかと思うが、そもそも元彼女の物ってなに?
「彼女の写真をスクラップブックに張り付けてあるものや、服とかだよ。」
「燃やすのはやりすぎかもしれないけど、スクラップブックはきもいから捨てたほうがいいんじゃないですかね」
恋の悩みは世界共通。そしてブライアンも元彼女の思い出ボックスなるものに色々な物品をしまいこんでいるらしい。
未練たらしいことはやめましょう。家ごと燃やされる可能性すらあります。
明日は見に行きたい場所があるので早めに就寝。
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八時頃に起床。
寝ぼけた頭でPCをひらく。するととても弱いけどwifiをキャッチできた。
twitterもできるしメールもチェックできる。これでロビーにいかなくてもいい!
喜び勇んでしばしインターネットを楽しむ。読み込みは遅いけど。
mixiのコメントに返信したり現状をtwitterにポストするなどする。
今日はチケットの日付の変更が可能かどうか、旅行代理店に聞きに行くのと、もう一軒の日本人宿の場所を確認しにいく。
そしてお昼は金太郎で。
どうも寝覚めが悪く(寝すぎた感じ)数時間ぼーっとしてしまった。着替え、外にでる準備をする。今日もいい天気だ。
タクシーをひろいアルマス広場まで。まずは旅行代理店だ。ペルー人と思しき女性がカウンターに座っている。
ここは特別日本人向けに何かをしているとかではなく、
単にペルー国内のツアーのアレンジやアメリカなどの航空会社のチケットをとれる会社だ。
実は少し早めに帰国することを考えており、チケットの変更を試みたのだが特別安いもののため、表向きは変更不可。
しかし現地オフィスに赴きいくらかの心付け、つまり賄賂を渡せば変更が可能になるという情報を得た。
アメリカンエアラインのオフィスはリマにしかない。
リマには戻りたくない。
ならば現地の旅行代理店に聞いてみよう。
英語が話せるその女性との交渉はわりとスムーズにいった。結論から言うと、その旅行代理店では変更は不可。
だが、彼女にリマのオフィスに電話してもらいスペイン語で交渉してもらうよう約束をとりつけた。
たぶん英語で直接電話するより、ひとりペルー人を挟んだ方が上手く行く気がする・・・という安易な考えで。
ただ今日は土曜日。月曜日に電話をするという話になった。
とりあえずこの件は月曜日まで保留。時刻は12時半になっていた。金太郎にランチを食べに行こう。
本日も親子丼を頂く。
異国での和食は格別に上手い。
従業員の日本人の女性が誰かに似ている気がするが思い出せない。オリエンタルな顔立ちの美人だ。
金太郎を出て、もう一軒の日本人宿の場所へ向かう。
噂には聞いていたがすごい坂。とにかく坂。クスコ、長崎も真っ青な坂の街。
場所は確認できたが、つかんでいた情報の通りかなり細い裏路地を入った場所にある。
これは、暗くなってから一人で外に出ることは危険だろうな・・・・・・。
まあ夜はあまり外に出ないのでいいのですが。
その場を離れ坂を下っていく。するとそこにいわゆる糞が。
最初は犬のものかと思ったのですが、紙が添えてある。犬は尻を拭かない。
非常にこの通りの治安について不安になってきた。
その後別ルートで、近くまでタクシーで来れることを確認。とりあえず広場方面に移動。
このまま宿に戻っても暇だし、なんとなく散歩でもしよう。そう思って行ったことのない方向へ歩き出す。
殆どは土産物屋かツーリストオフィスで顔を見るたびにマチュピチュ?とか言ってくる。
今はハイシーズンなので行く気がしない。
ぼんやりと広場を過ぎて歩いていると、進行方向から日本人と思しきじんべい姿の男性が歩いてくる。
日本らしいひとだなーと思ったら、すれ違いざまにこんにちわと言われた。
いま、挨拶されたよな・・・
遠い異国、日本人にあってわざわざ挨拶をしてくるとは。
何事だろうか。
数秒反応が遅れたものの、振り返って「こ、こんにちわ」と言い返す。
すると男性は手に持っているメニューをみせてきた。「よかったらお食事どうですか」
そのメニューはわたしがつい30分前に親子丼を貪った金太郎のものだった。
「あ、さっきそこで親子丼食べちゃいました・・・」なぜか申し訳ない気持ちになる。
「あー、テーブルで食べてたひとですか。」
クスコに来て日本語でまともな会話をするのは初めてと言っていい。10分ほど立ち話をした。
Nさんは自転車でもう数年旅をしているひとで、既にクスコには9カ月ほど、トータルでは1年半滞在しているらしい。
自転車で世界を渡り歩く人をチャリダーというそうだ。しらなかった。
日本人宿の評判や、Nさんの旅のスタイル、色々なことを聞いているうちにはっとNさんは仕事をしてる最中なのだと気づく。
どんなひとか気になったので、今度お茶でもしましょうと連絡先を交換してわかれた。
今日見に行った日本人宿は場所が少し不満ではあるが、情報交換や面白い話をしいれるには絶好の場な気がする。
あとはwifi完備ならば言うことはない。
火曜日くらいに移動できたらいいなと思う。一日早くこのホテルからでることになるかもしれない。
おみやげをちょこちょこ買ったりして荷物が少し増えてしまったので、帰国前に日本に送るかも。
街中を歩きまわり時間をつぶす。今まで行ったことのない場所に行った。本当に美しい街だと思う。
初日にぼーっとし、インティライミのセレモニーでも使われたサントドミンゴ教会、別名コリカンチャ横の広場に向かう。
通りでアイスを買い広場で食べながらぼんやり。今日も昨日と変わらない空の青さが色々考えさせる。
広場から数分の行きつけお土産市場へ。この市場は本当にやる気がない。客もいない。でも猫がいる。
縞さんと勝手に名付け頭を撫でていると、ものすごくアグレッシブに膝の上に乗ってきた。なつこいなー。と思っていたら肩の上にのられた。
これにはまわりのペルー人も笑っていた。
しかも肩の上で丸くなっている。
動けない。
猫好きには動くことなんてできない。
数分後縞さんは膝の上でごろごろしはじめた。
本当に可愛い。癒しである。
するとこの市場のおばちゃんの子どもが寄ってきた。「グランデ!」
グランデとは大きいという意味である。しかしどうやらそれは縞さんの名前のようだ。
縞さん改めグランデとしばし戯れ、市場でベビーアルパカのショールを買い帰還した。
明日はなにをしょう。日曜日だから金太郎はおやすみ。どこでご飯たべよう。
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12時前に家をでる。
目的はただひとつ。和食を食べることだ。
日本を離れ数日、機内食でも欧米チックな食事の連続。さすがに限界がきた。
醤油がほしい。出汁がほしい。My body need soy sauce.
ひとつ目をつけてあった日本食レストランがあり、昨日遺跡から歩いて帰ってきたときも散々探したのだが見つからなかった。でもあきらめることはできなかった。2ch、mixi、グーグル検索・・・・・・ありとあらゆる方法でレストラン「金太郎」の情報を探す。2009年に訪れた人が「地球の歩き方に乗ってる場所になかった」とブログに書いていた。もしや、閉店してしまったのだろうか。心なしか日が陰ったような気さえした。めげずにmixiのコミュニティ検索をつかい「ペルー」「クスコ」でヒットしたコミュニティのトピックを片っ端から見ていく。
あった。
クスコのコミュニティのトップに、「金太郎は移転しました」の文字。リニューアルオープンは最近のようだ。
日付は2010年の5月。間違いなく営業しているだろう。サイトを訪れてみるとランチが10ソルで食べられるとのこと。
メニューには親子丼やかつ丼などの文字が乱舞し、人目が無かったら涙を流していた可能性すらある。
やった。和食だ。醤油なんだ。出汁なんだ。
雲間に隠れていた太陽はここぞとばかりにロビーを照らしわたしのこころをも明るくさせた。
ありがとう金太郎。大好きだ金太郎。
この時点でまだ10時だったので、他にもこの先どうしようかなーなどというプランを組み立てたり調べ物をしたり日記を更新したりで時間をつぶす。おなかがすいた。朝バナナ一本食べたきり。私の胃袋は金太郎へとまっしぐらだ。
タクシーをひろい高らかに「アルマス広場まで!」と告げる。広場に着き、これでもかというくらい見続けたせいで頭に焼きついた金太郎までの道を歩く。空がいつもより青いような気さえした。ついに来た。二階への階段を登る。和風チックな内装だ。店内には大きなテーブルがひとつと、4~5人がけのテーブルが10個ほど。奥にはカウンターもあった。なかなかに広い。テーブルの上には質素ではあるが美しく花が飾られいい雰囲気。さっそくメニューから親子丼を注文。待ちきれない。オープンと同時に入店したので一番目の客だ。数分すると欧米から来たらしき観光客や日本人っぽいおじさんなどが入ってきた。番茶が運ばれる。待つこと20分。親子丼が目の前に置かれ、胃液が一気に放出されるのがはっきりとわかった。あまりに美味しかったために速攻で食べ終わり、向かい側の欧米人の様子を眺めていた。彼らも丼ものを頼んだらしくセットの味噌汁をしきりに箸でかきまわしている。なぜだ。別にかきまわす必要はないはずだ。ひとしきりかきまわすと、今度はレンゲで味噌汁を飲みだした。なんだかすごい光景だった。イギリス人の友人が来日したときに和食を食べたけれど、彼は日本通で箸の使い方も完璧で、器用に焼き魚の骨をよけ味噌汁をすすっていた。雲泥の差である。まあ、私がフレンチ食べてたらフランス人に同じような風に思われるんだろうな。
胃袋を満たしたので、次に泊まろうかと思っている日本人宿の場所を確認しに行った。
広場からそう遠くはないはずだ。・・・・・・はずだった。
ものすごい坂。急こう配、という言葉が浮かんでクスコの青い空に消えた。
ただでさえ酸素が薄いのにこんなところを歩いたら1分でぜいぜいだ。
必死に向かうも、かなりダメな顔で歩いていたと思う。場所は確認できた。
確かに広場から近い。しかし帰るときはタクシーを使いたい。
細い裏通りにある上に疲れ切った夜歩く気はしなさそうだ。
下りは違うルートを歩いて行くと学校があり、制服やジャージ姿の子供であふれていた。
へとへと顔の旅行者が、無邪気に遊ぶ子供らの横を通り過ぎる。広場についたころには涼しいクスコで汗をかいていた。
もうひとつ見に行く場所があった。スペイン語の学校だ。パンフレットをもらった。悪くはなさそう。
そのあとは初日にも訪れた小さな土産物市場へ。
初日には気づかなかったのだが、なんと、猫がいた。
クスコもリマも野良犬だけはやたらといて、日本で買ったら高そうな犬種も平気で薄汚れそのへんに寝転んでいる。
しかし猫は一匹も見かけなかった。猫のが好きなのに。
ここにいたとは知らなかった。
縞の猫は売り物と思しきカラフルな布の上で限りなく丸くなって眠っており非常にかわいらしく、思わず「まるいなーおまえまるいなー」と日本語で話しかけながらなでた。
かわいい。おとなしい。
猫を撫でさせてもらったのでなにか買おうかなーと思ったがほしいものがなかったためまた猫をかまいつつ店を去った。
猫はいい。かわいかった。また明日も行くかも。
広場近くのスーパーで水とポテトチップス、バナナなどを購入。
缶詰などが10ソル~で売っており、明らかにそれを買うより外で食べた方が安い。
プリングルスは10ソルで、オレオが4ソルというのもよくわからない。
物の価値がぶれている。
ワインなどは日本円で800円くらいで売っていた。
一人で飲んでも楽しくないのでこちらに来てからまだお酒は飲んでいない。
買い物もしたし、行くべき場所にも行ったし、ということで早々に帰還。
あまりに早いが、書きたいことがあったのでまたPCを持ってロビーにきた。
夕食はちかくのレストランでとろうと思う。やっとそれらしきペルー料理が食べられる。
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クスコでの一日
大体いくらで暮らしているかを書いておこうと思う。
まずタクシー。宿から中心地まで遠いので絶対使う。
往復で8ソルくらい
食費
朝はホテルででるけど、昼夜はどこかで。
ピンキリなのだが、市場で食べれば5くらいだし和食を食べたかったら15くらいはかかる。
水を買ったり果物を買ったりするのを加味して計算する。
25ソル
あとはおみやげ買ったりしたらその都度消えていく。
日本円に計算したら安いけど現地の通貨価値では結構高い。
今日は人形4体買って20ソル。
そういうわけで食費とタクシー代だけだったら30ソルくらいか。日本円にして約1000円。
もちろんもっと節約しようと思えばできるし、使おうと思えばいくらでも使える。
1ソル=30円の計算。ちなみに1ドルは=2.8ソルくらい。
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クスコは相変わらず快晴だ。リマの曇天はイギリスや日本のそれとはまったく違っていて、とても陰鬱。
なぜだろうかと考えてみると、やはりそれは街並みのせいなのだった。
高級住宅街と言われている場所でも、あまりに建物がお粗末で、
もしリマに来たことがない人に写真をみせて
「ここは貧民街です」と言っても
「ああ貧民街の割には建物が整っていますね」というような感想を持つ気がする。
壁などの色はカラフルなのだがどこの家にも屋上がありそこにはためいているこれ洗濯物がより一層赤貧っぽさを醸し出している。一泊しかしていないうえ宿から数百メートルしか移動していない私の感想なので、リマにお住まいの方には叱られるかもしれないが第一印象としてのリマは「あーこんなもんか」だった。
また中心街の方に行けば欧米っぽい街並み(らしい)なのだがそれはそれで発展しきれていない感があるなあと…この感じ、どこかで…と思ったがそれはポーランドのワルシャワだった。
しかしポーランドはなんだかんだ言ってヨーロッパ。
共産主義的な雰囲気が残っており街は少し無機質な感じがしたものの街並みはやはり素晴らしく、
大きなマクドナルドやショッピングセンターがあるのを見てもさほど残念な感じはしなかった。
ペルーにはインカ帝国の名残があって当然という刷り込みのようなものをされているせいか都市部を見てもさほど感慨はわかず、
もう帰国する日までリマには行かなくていいなという気持ちしか残っていない。
一方クスコは、そこかしこにインカ時代を思い起こさせる色使いや石組の壁が見受けられ、歴史を感じるとともに見ているだけでも楽しい気持ちになる。
ホテルの部屋から隣の家の屋上が見え、インディヘナ由来のカラフルな洋服が干してある。
鶏もいる。
建物自体はリマのそれとさほど変わらないのだが、空の色や鶏が飼われているのどかさで断然クスコの屋上の方が旅情を満喫できると言えよう。
屋上評論家かわたしは。
何より街は活気にあふれ、半数は観光客だろうがひとも沢山いる。
皆笑顔だ。
物売りも沢山いるがそんなにしつこくない。
道端では露店が開かれインディヘナの布を使ったバッグなどが売っている。
アルマス広場という中心地は美しい大聖堂とコロニアル建築の協会があり一瞬ヨーロッパに来てしまったかのような錯覚すら覚える。
朝晩は寒いが、昼間は日差しが強くそこまで寒くはない。欧米から来ていると思しき観光客は半袖だし。
そんなわけで、昨日さんざん探した日本食のレストランが移転していたことを知ったのでご飯を食べにいってきます。
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南米三大祭りを見に行った。
インティライミ、日本語に訳すと太陽の祭り。
その昔インカ帝国があったころからのお祭りらしいのですが、詳しいことはぐぐってください。
街中でパレードを行った後、高台にある遺跡に移動し神にささげる踊りや歌が披露されるというもの。
日本にいるときにこのお祭りのガイドツアーを申し込んであり
(ツアーでないと遺跡に入れないと書いてあったため)
八時半にロビーへ。
迎えに来たのは日本語がしゃべれるペルー人。
開口一番「ここ遠いよー!」
どうも私が泊まっている宿は一般的にみて街中から遠いらしい。
タクシー10分くらいなのだが、確かにもっと広場に近い方にも沢山ホテルがあるしなぜあえてここを選んだんだと問う彼の気持ちもわからなくはない。
インターネットできるし、部屋綺麗だし、別にいいんですけどね。
なんとない世間話をしながら広場まで車で向かう。
そして旅行会社の前に連れて行かれ、そこのツアーの一団に混ざれと言われる。
申し込みをしたのは初日に泊まった日系のペンションで、そこから日本語が喋れるガイドの会社、さらにそこからクスコ市内の旅行会社へとまわされたようだ。
日本のお役所か。
インディアンの首とレインボーフラッグがくっついた棒を持ったガイドはスペイン語と英語を操り、セレモニーがあるからと、昨日ぼーっとした広場まで我々ツアー客を引率した。
あああ、ここはそんなに重要な場所だったのか。
セレモニーが行われるということで沢山のひとが集まり、10メートルおきにポリスが立っている。
わたしがよたついていると、同じツアー客のおばちゃんが手を握って歩いてくれた。
間違いなく、15,6歳だと思われている。もしかしたらもっと下かもしれない。
それでもいっか。
おばちゃんらは3人組でアルゼンチンから来ているらしく、スペイン語しか話せなかったが、
いくつかの単語となんとない雰囲気でのコミュニケーションが可能で、
一人で旅行をしている自分にとっては久しぶりにひとと話せて楽しかった。
広場でのセレモニーを終え、また別の広場へ移動する。
どうやら高台の遺跡へ行くバスを待っているようだ。その間にも広場ではパレードが行われ、見物客は騒ぎ物売りが寄ってくる。
最初、アルゼンチンのおばちゃんたちと行動していたためなにがどうなっているかよくわからなかったが、
英語を喋っている同じツアー参加者がいたので
「この後って遺跡に行くんだよね?」
などと聞いたりした。
事務的でない英語を話すのも久しぶりでとても嬉しかった。
そうこうしているうちにバスがきたようで移動。
車内でお弁当と水を渡されバスは遺跡へ出発。
ガイドの男性は英語とスペイン語でこのお祭りがどういうものかを説明しているが、
なまりがきついうえにバスのエンジン音がうるさく何を言っているかほとんどわからない。
遺跡に近づいたところでバス渋滞がおきたので5分ほど歩く。
桟敷席のようなものが用意されていて、かなり見晴らしがいい。
こりゃあいいわ、と思ったのもつかの間。
高地故の日差しの強さ、
そこでのセレモニーが始まるのは2時からなのに11時に着いているというわけのわからないタイムスケジュール……
儀式が始まるころにはぐったり。話す気もしない。
インディヘナの方々が色鮮やかな衣装を身にまとい楽を奏で踊り、
インカの皇帝役のひとが石でできたステージの上でケチュア語の口上を述べる。
私は思った。
心底どうでもいい。
日本人の私にインディヘナは関係ない……。
そう思ってしまうほどに疲労困憊。
11時から16時までのお祭りが終わるころには頭が痛くなっていた。
やっと帰れる……ガイドの待つ場所へ足早に向かう。
「フィフティーンミニッツウォーク!」
帰りはバスじゃないの?歩き?徒歩なの?
確か地球の歩き方にはクスコ市内から遺跡まで歩くと2~30分と書いてあった。
登りだからというのもあるだろうが、だからといって下りで15分は間違いなく嘘だろう。
30分はかかるとみた。
カリフォルニアから来たというメガネ美少女と愚痴を言い合
いながら道を下る。
石畳のなり損ないのような道は時にすべり心臓に悪い。
「帰りはハイキングかよー」
「このハイキングに180ドルも払っちゃったよー最低だよー」
「まあこれもまた思い出だよー」
そんな会話をしながら、物売りを避け、赤ちゃんアルパカを抱かないかという誘惑に負けないように歩き続ける。
赤ちゃんアルパカは正直、すごく可愛い。
クスコにいる間に一度は抱っこしてしまう気がする。
足ががくがくになりつつもメイン広場に到着。
見知らぬおばちゃんと坂が急すぎると文句を言い合う。
あまりに疲れ体がしょうゆを求めたため、日本食の店に行こうかと思ったが見つからなかった。
中華料理屋でワンタンスープを食べる。
うますぎる。人生で一番おいしいワンタンだった。
ワンタンもどきだったけど。明日も行くかもしれない。
タクシーでホテルに戻る。つかれたー。
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リマに22日の朝6時くらいにつく。予定よりだいぶ早い。空港内で50ドルくらいを現地通貨(nuevo sol)に両替。空港内で送迎を待つ。早く着きすぎたせいでまだ来ていないようなのでタクシー攻撃をかきわけながら待つこと30分、ホテルの名前を書いたプレートを持ったひとが目の前を通り過ぎていく。声をかけて車に案内してもらう。スペイン語しか話せない運転手と、スペイン語が殆どわからない自分。人間の真似をする猿並みの不器用なコミュニケーションらしきものを数回しているうちに、当山ペンションという日系の宿に到着。一応高級住宅街にあるとのことなのですが・・・まあこれがリマの高級なんだなあと思った。部屋に入りまずはお風呂。24時間飛行機だったので不快指数がマックスだ。ちゃんとシャワーもでるし、問題はない。そして部屋でインターネット。twitterしたりmixiしたりskypeしたり満喫しまくり。ネット最高。とか思ってしまう・・・・・・だってもはやインターネットがない生活とか考えられないですし。メールにも数通返信。そうこうしてるうちに9時くらいになったのでスーパーと薬局に買い出しへ。高山病の予防薬と虫よけスプレー、お惣菜と水と果物なんかを購入。これだけ買って600円くらい。安い。お惣菜も美味しいし。食べ物が口に合うのは良いことだと思った。
で、次の日には朝からクスコという高地への移動を控えているし、少し仮眠・・・・・・・と思って5時間くらい寝てしまった。夕飯をどうするか悩む。しかし頭が完全に寝ぼけており、とてもじゃないが夕暮れ時の見知らぬ土地に繰り出していけるコンディションではない。もうちょっと寝よう。そうしてまた4時間くらい寝た。寝まくりだ。iPhoneでスヌーズをかけていたのだが、終いには鳴るたびにタイマーをかけていた。よっぽど疲れていたようだ。そりゃそうよね。
結局そんな調子で起きては眠るのを繰り返し、朝の3時くらいに起床。今度はちゃんと目覚める。荷造りをし、洗濯物を回収、薬を服用し少し朝ごはんも食べた。そしてインターネット。わたしは無事ですよーと日本のみなさまに通達。なぜかイギリスにいたときの友達からskype通話があり20分くらい話した。いまペルーにいるよと言ったら驚いていて、ペルーよりイギリスに来いと言われた。また行きたい。
6時半に昨日と同じ運転手が空港まで送ってくれた。クスコ行のフライトは1時間遅れ、その間あまりにも暇でどうしたものかなあとノートにスペイン語の書きとりをしていた。到着した恐ろしく小さい飛行機に乗り込むと幸運にも窓際で、ペルーの山々や点在する湖を眺める。リマと違い、山のほうは天気が良く空が高くて綺麗だ。日本ともイギリスとも違う空の色をしている。からっと乾燥していて甘く澄んでいる。一時間のフライトはあっという間に終わり、クスコの空港に着陸。こんな小さいぼろい飛行機でちゃんと着陸するのかなあと怖くなり、その恐怖が逆に楽しくなり、わけのわからないテンションで着陸の瞬間を楽しんだ。無事に地面に着いた瞬間ほっとして楽しくなり拍手をした。国内線なので面倒な入国審査もないし素晴らしい。外にでると宿泊する予定のホテルのひとがまたしてもでかでかとした私の名前入りプレートを掲げて待っており、それに着いていってタクシーに乗る。町並みはリマの100倍素敵で空は美しく気分が最高になった。いいなあここ。いいなあ。と日本語で呟きまくった。そして聞かれてもいない自分の年齢や名前やどこに住んでいるかをスペイン語で運転手に伝えたりした。いきなりテンションがあがって自己紹介を始める謎の東洋人にもクスコ市民は優しく、日本人は美人だなどと言ってくれる。宿についてコカ茶というペルー特産のお茶を飲みながら少しぼーっとしてから部屋に案内してもらう。なぜか二部屋から選べるそうで日当たりのいい方を選ぶ。向かい側にはひとのうちの屋上が見え、カラフルな洗濯物が干してあり鶏が二羽毛づくろいをしている。うわあここって外国じゃん、とか当たり前のことを突然実感し、リマでは特に撮る気にもならなかった写真を撮りまくった。
軽くシャワーを浴びてタクシーで中心街へ。なぜかどの街にもアルマス広場という広場がありそこを中心に街ができている。明日はお祭りなので既にパレードなどで盛り上がっており観光客が沢山いる。とりあえずご飯が食べたかったので人のいない方へと歩いた。道端でビーチパラソルの下、ご飯の上に鶏肉の焼いたのと目玉焼きを乗っけたのを売ってる屋台を発見したのでそこで昼食。かなりのボリュームだが150円くらい。日差しがかなり強く、食べ終わってからは日陰を求めて10分ほどさまよう。すると芝生の広場というか公園というか、だだっ広い空間にひとや野良犬がのんびり寝そべっている場所を発見。しばしの休憩。いいとこだなーとぼんやりする。そうして少し広い通りまで歩いて行って、タクシーをひろって宿まで帰還しました。
明日はお祭りでガイドがいるツアーに参加する予定。とりあえず眠いのでwifiが使えるか確認したら寝よう・・・・・・。
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6月23日、ペルーは朝の5時。出発まで一時間くらいあるので日記を書きます。
NYに着いてまず入国審査。何しにアメリカ来たの、なんでペルー行くの、ペルーに知り合いいるの・・・そんな質問に答えてあっさりパス。顔写真の撮影と指紋をとられた。厳重だなあ。預入荷物がないのでさっさとターミナルの移動へ(ロストバゲッジ恐怖症なので今後も荷物を預けることはないとおもう。)エアトレインとかいうものでターミナル4へ。最初どこで乗ればいいか分からず間違えて空港の外に出てしまう。するとタクシー運転手と思しき黒人男性が何人か声をかけてくる。ひい。空港内に戻りインフォメーションのお姉さんに場所を聞き移動。搭乗券を持っていたけど一応AAのカウンターで聞くと少し時間が早まったらしく新しい搭乗券を受け取る。乗り口はA4。荷物検査を通り抜け、A4付近でリンゴジュースを購入し、電源があるのを見つけたので狂喜してPCを開く。やっとネットができるよー連絡とれるよーと安堵。待ち時間は5時間ほどあり、暇。しかし数時間したところで、殆ど寝てなかったせいか恐ろしいほどの眠気がやってきて・・・・・・1時間は耐えたのですが最後の1時間はうとうと。そうこうしてるうちに搭乗が始まり機内へ。荷物をいれたりなんやかんやしていたら、前の席のひとに席かえてと頼まれる。お母さんと子供が別れちゃってるみたいなので了承。
そうして変わった席に移動すると隣の子が(たぶん)ペルー人。5歳くらいの姉弟。この子らが非常に元気で、数時間遊んでしまった。で、フライトアテンダントのお姉さんに「you can change your sheat,you're gonna be crazy...」とか言われてしまう。そんなに苦じゃなかったのでそのままで。機内食食べて、薬を飲み、なんとなーくまたぼーっとしてたら眠くなってきたので就寝。iPodでリラックスプレイリストを聴きながらしばしの爆睡。そうしてる間も隣の子や通路挟んだ向かい側の子供が騒いでる。でもすごく眠いのであまり気にならない。そのうち子供らも疲れたそうで眠りだした。
明け方になって朝食が配られる気配で目を覚まし、機械的にそれを食べる。ハム、チーズ、トマトのホットサンド。それとフルーツ。おいしかった。今回は本当に飛行機に乗ってる時間が短く感じる。あっという間にリマの空港に着陸。荷物を背負い、入国審査。質問らしい質問もなく、パスポートを顔をチラ見されて通過。
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搭乗手続きを待つ間もどこか現実感がなくて窓の外の飛行機を眺めていた。おもちゃのスーツケースをひきずる白人の女の子。目が合うと無邪気そのものの笑みを返してくれた。このぐらいの年頃ならまだ辛いことも楽しいことも、全部声にだして言える。笑顔を振りまき、泣き叫び、疲れて眠る。なぜ、自分の感情なんていちばん簡単そうで一番に自分がわかりそうなものが、大人になるとわからなくなってしまうんだろう。それをため込んで体に不調をきたしたりしてしまうんだろう。大人になんてなりたくなかったな。私は大人になってしまったんだろうか。
狭いシートに乗り込む。両隣りは日本人で、感じのいい態度をとってくれたので安心できた。空調が少し利きすぎていて寒い。備え付けのブランケットを被り、ジャケットを膝にかける。搭乗が少し遅れていてざわざわしている。空席はほとんど見えない。
「キチョウヨリオシラセシマス・・・」片言の日本語のアナウンスが流れる。続いて英語のアナウンスも。電子機器の電源を切り、シートベルトを締めること。車体が少しずつ動き出しているのがわかる。3席分向こうの窓から見える景色が動いてる。もう夏なんだ、18時なのにとても明るい。滑走路までが長いなあと毎度のこと思う。いつ飛び立つのか、その瞬間を今か今かと待ち焦がれる。ゆるやかに進んでいた機体はある瞬間から唸りをあげて加速をつける。飛び立つその瞬間のために。飛行機が飛ぶ原理はいまだに解明されていないと聞いたことがあるけれど、本当なのだろうか。まだ車輪は地についている。がたがたと揺れながら地面を這っている。なんともいえない、あ、今浮いた、という感覚があって、体がどんどん空にのぼっていく。こわいような、楽しいような、不思議なきもち。遠ざかる空港、見送りに来てくれた親、恋人。一か月も離れてたら心変わりされても仕方ないよなーとも思う。その分せめて、わたしが彼を思う気持ちは変わりませんように。不変のものなんてないって、知ってるけれど。
ややあって飲み物や機内食の配布がはじまる。今日はサーモンかビーフを選べるそうだ。迷わずビーフと、オレンジジュースを選ぶ。薬がたくさんあるのでバッグから取り出して飲む準備をする。風邪薬が、5種類と、皮膚疾患の薬が一種類。空港で買った香酢とヘム鉄のサプリメントも飲むことにする。出発前の一週間は、旅立つ準備や片づけに追われて、疲労困憊し体調をくずしてしまった。病院で、旅行に行くので・・・と言って少し多めに薬をもらっているので、万が一旅先で体調を崩しても安心だ。そうならないといいなとおもうけど。
食事の量がやけに多い。バジルソースのマカロニサラダ、稲荷ずしと海老の握りずし、パンとバター、クラッカーとクリームチーズ、ビーフシチューとライス。デザートにチーズケーキまでついている。デザートは食べきれずに残す・・・・・・炭水化物の比率が多すぎではなかろうか。しかもパンは袋に入った冷えてるやつだし。ほかほかのパンにバターをつけて食べるのが好きなのになー。
狭い座席に12時間半も座っていて楽しみなことなんて食事と映画くらいなものなので、とりあえずなにか面白そうなものがないかチェック。食堂かたつむりを見る。映画として面白かったとは言えないけれど、訴えてくるものがある作品だった。ツッコミどころもおおかったけど。
これはまだほんの始まりに過ぎなくて、そもそもまだ目的地についてすらいないし、何も決めなくていいのかと思うと心が楽になった。毎日毎日何かを選んで決めて、電車に乗って、人と会う毎日。うんざりだった。もう何も決めたくない。もう誰かに何をやりたいかなんて聞かれたくない。そんなことを聞かれるたびに私は、これをやりたいんですと広い広い海みたいな自分の心のなかのたった一部分を馬鹿みたいな形に切り取って相手に見せなければいけなかった。海を切り取ることなんてできないしたとえそこから何かを取り出したとして、そんなもの海面に漂っている一切れのワカメぐらいの存在にすぎない。ワカメを見ただけで海のすべてをわかったような気になった勘違い野郎が、水の中に全裸で飛び込んでくる瞬間、吐き気を催しそうになった。せめて海洋生物学をみっちり6年くらい学んでから来ていただきたい。イルカと話せるようになれ。タコに求婚しろ。フナムシを頭に乗せて、アシカの腹の下で眠ったらいいんじゃないか。ひとびとは勝手に告げては去っていくのです。
そんなことをぼんやり考えたり本を読んだりしているうちにもうNYに着いていた。早い。