ある人間がどういう流派に(意識していなくても)属しているか、というキャラクター属性。親の職業や交友関係も、まちがいなく個人に影響を与えるだろうし。
例えば僕の場合、僕自身とはぜんぜんまったく縁のなさげな中央公論からも(父と、その師匠筋を通じてから)影響があるように思う。読売傘下になった今の中央公論新社の人が覚えていない(知らない)ような「中央公論的なもの」のエッセンスを、ひょっとしたら僕が無意識のうちに継承しているのでは……てなことを思ったり。いやまあそれは言いすぎだろうけど。(コーデリア・グレイとバーニィ・プライドとダルグリッシュの関係?みたいなものを意識している?)
「目に見えないソーシャルサークル」が社会の中にいくつもあり、「個人」はそこにどっぷり浸かってたり片足だけ突っ込んでたりで、その経験ないし認識が、その人の人格を形成している。つまり僕は「改造」サークルとは縁がないが、「中央公論」サークルに触れた(というほども触れてないけど)ことがある「キャラクター」である、と(で、中央公論新社からは忘れ去られようとしている何かを受け継いでいるかもしれない、と)。これを換骨奪胎すると「ある流派があって、それはいちおう存続しているんだけど、始まったころとはまったく異質なものになってしまい、ぜんぜん関係ないところにいた人間がその流派を正しく伝承している」というような(「正しく」というのは言葉のあやで、今の中央公論が間違ってるとかそういうことを言っているわけではもちろんない)。僕自身は別に中央公論になんの思い入れがあるわけでなく(あたりまえ)、そして中央公論も保守化して久しいわけで、しかも世間が思う「中央公論」のイメージも変質していくだろうしそれが当然だし、ちょっとこの例えはいまいちだったような気がするがまあいい。学習院とかもそうだなあ……
書きだしてみると――こういうシチュエーションは物語とかではけっこう多いか。なにも「流派」でなくてもよい。何らかの特徴が、先代・先々代の直系ではなく、思いもしないところから表出するという意外性。権力闘争とお家騒動で騒々しい王国で、死んだ祖父王の後釜をめぐる争いの中、通りすがった旅人が祖父王の癖を受け継いでいるとか。……いや、やっぱりありがちだ。
ただ、「そのものにどっぷり浸かっている人間には見えなくなるもの」というのはあるように思うし、それを指摘する第三者というのは実際ありうる。うーん、もうちょっとスマートにまとめてなんかに使えるような……