「自省録」の書評っぽいエントリ。ところどころぶつ切れで、全体としてまとまりに欠け、水準に達していないので未公開で放置(じゃあ、公開している記事は水準に達しているのかと言われると……)。
ある不幸な事故で亡くなった人物のアパートで、その人の遺稿が発見された。そこには、友人に宛てた日付のない手紙が添えられていた。
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いつか君に、こんなことを話したのを、君はたぶん覚えているだろう。私は万難を排して、日記のようなものをずっとつけており、いつかは、それを君にあずけたいと思っているということを。それが、これなのだ。
誰かがそれを読むだろうとは、まるで考えもしないで、書きはじめたものだ。(中略((投稿者による中略)))もし君が、出版に値するものと思うなら、どうか出版してくれ給え。――私と私自身との、そうしてまた神とのかかわり合いに関するいわば白書のようなものとして。
レイフ・ベルフラーゲへの手紙
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まとめられた遺稿は、わずかに一冊分。まず1925年から1930年、青年期のいわば習作的な数篇から始まり、その後しばらくの間をおいて、彼が大蔵次官((今は財務次官と書くべきなのだろうか?))であった1941年から、国連事務総長として死ぬ1961年までの、彼の人生の断片を示している((前述の友人らが遺構を整理した可能性はあるが、ここではそこまで深く追求しない))。
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僕はあるていど青春の葛藤を済ませたあとでこの本を読んだ。ちょうどいいころあいだったと思う。
何かしら異常な事件が起きるたびに、被疑者の人となりや、近所での評判や、その半生や、中学の卒業文集が事細かに報じられ、そこに何かしらの共通点を見出しては心を痛めていた。それはどうやら間違いだった。
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お前は、ほめられると胸がむかつく。それでいて、お前の価値を認めないものには禍あれと思う。
1941~1942年
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ともあれ、おまえはほかの人たちを軽蔑していながら、自尊心を後生大事に守りつつ、あいかわらず彼らの敬意を求めようとするのである。
1950年
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半世紀以上も前に同じことを書いていた人がいるのだから、僕も大してユニークな人間ではないなあ、と気づくと同時に、「けっきょく誰でも通る道か」ということが実感できた。時として自分の思考の下劣さに呆れ果てることもあるが、それもやむをえまいと思うようになった。考え方はラスコーリニコフだったが、ラスコーリニコフ本人にはぜんっぜん感情移入できなかった僕にとって浄化作用を果たしてくれた本といえるかもしれない。重要なのは、自分の自分に対する違和感をこの先ずっと持ち続けることであって、いちいち自分が駄目人間だとあげつらうことではないのだ。
そして、政治家というものが、人間であることにも気づかされた。
なにしろハマーショルドはエリート中のエリートなので、あまりのエリート臭が鼻につくこともなくはないのだが、。
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なにを恐れることがあろう。
彼らの矢が命中し、
そして、私を殺そうと、
どうして泣くことがあろう。
ほかにも、先にいった人がいる。
ほかにも、あとから来る人たちがいる――
1961年6月8日
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マルクス・アウレリウスと違って、キリスト教を弾圧するという致命的な失敗((二重の意味で。J.S.ミルが『自由論』で述べたように、共感できるはずの相手を迫害したということと、ただでさえ被害者意識の強いキリスト教によけい弾圧されました意識を植え付けたということ。))もない。
当然のことながらハマーショルドについて知識はなく、当時の社会情勢や、彼の政治的功績について論評するだけの能力もない。ほとんど偏見がないということだ。単なる昔の偉い人である((国連事務総長が本当に「偉い人」かどうかは、「エジソンは偉い人、そんなの常識」などという歌同様にさておく。))。