ダイアリー用の着想と下書き
きょう「女性専用車両」を見てふと思ったのは、こうした「逆差別」に憤りをつぶやく人たちのことであった。
しかし、と続けて考える。その「女性優遇」を当然と思う僕の根拠は、「いついかなるときも女性には親切に」という古めかしい道徳律であり、同級生から通りすがりの女性までにするその親切も単なる脊髄反射かはたまた習慣の奴隷か、とにかく本当に女性のためを思ってしていることなのか、そっちのほうもまた疑問なのであった。 (ここでいうのは、「男女平等」という普遍的な原則のことではない)
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本当は、「自分は嫌悪した。だからその自然な感情に従い差別する自由がある」ではなく、「自分は嫌悪を催した。自然な感情として特定の存在をことさら排除したいと思った。それはなぜだろう?」というのがあるべき姿のように思う。
突き詰めれば、「嫌悪感情」は本人にもやむにやまれぬ心理作用であり(加虐性愛であるとか小児性愛であるとか、倫理的でないとされるような)、社会がケアを引き受けなければならない存在として認知されるようになるかもしれない……