綺麗に磨かれて手入れが行き届いているのだろう、つやりとした球面。赤と白の目に鮮やかな配色に、しかしトウコの視界はじわりと滲んだ。
かの人の定位置に収められたボール。それがトウコの手に触れることはない。ありえない。 アレは他人のポケモン。それはわかっているのに。だのに。
トウコがゆがむ視界をごまかそうとうつむいた、その時。
ふわり、頬を熱が撫でた。
トウコは思わず瞬いて視界がクリアになり、あれと自身の顔を両の手で包み込む。
ガタン、ガタンと規則正しい振動が響くここはトレインの中。バトルを終えて降りる駅を待つだけの今、トウコの髪を揺らす風も、ポケモンが吐きかける熱もあるはずがない。
向かいに腰掛ける地下の住人にどうか致しましたかと問われ、慌てて首を横に振る。
気のせい。そう思い込もうとして、しかし頬を撫でた熱の残滓は確かに存在していた。トウコの視線は再び目の前の人の所有物に吸い込まれる。
美しい球面。この距離からでは、決してその中を見通せるはずがないのに。
ふわり。ああ、また。
熱が、今度は鼻先を掠めた。気のせいなんかじゃない。
トウコの視界に蛍光灯の光がにじむ。
(ずるい)
トウコはうつむきたくて、しかし視線を逸らすこともできず、目頭が熱くなるのを必死でこらえた。
電車の端から端、ほんの4mちょっと。でも、永遠に届かない距離。触れ合うことはおろか、見詰め合うことすら満足にできない。それが自分たちの距離。想いを確かめ合ったことすらない。それでも、確かにトウコは感じた。自分に触れた熱を。ソレが、自分をまっすぐ見つめているのを。
( 手を伸ばすことが、許されるなら)
トウコは目を閉じる。
(うつくしい炎を灯したキミに、触れることができるなら)
願った。何度も、何度も願った。願ってかなうなら、トウコは地面に這い蹲ることすらいとわなかっただろう。
だのに、目を開いた後の世界はどうしようもないくらい現実で。
慣性の力を受けてトウコの体が傾ぐ。それはトレインが停車した時の感覚だと知っていた。アナウンスとともにトレインのドアが開く。途端に流れ込んでくる駅の喧騒がトウコの腰を浮かせる。
またのご乗車を、とかけられた言葉になんと返したのかはよく覚えていない。
ただ、トレインを降りるトウコの背をやさしく、しかし確かに押した熱があることをトウコだけが知っていた。それだけが、すべてだった。
駅のホーム。トレーナーや鉄道員はそこらにいるのにトウコはどうしようもなく独りで。熱のカケラを宿す自身を抱きしめて、ただ嘆息することしかできなかった。