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quitheryne 考察系

  • 【丸藤兄弟に関する考察】

    《考察1》「おにいさん」と「アニキ」

     翔の実兄に対する「おにいさん」と、十代に対する「アニキ」という呼び方についての考察を行う。
     翔の普段の言動からすると、実兄に対して「おにいさん」とは随分他人行儀な呼び名に聞こえる。十代に対する呼び名が「アニキ」であることからも、その異常性は明らかだ。

     では、なぜ翔は実兄である亮を「おにいさん」と呼ぶのか。それは、翔が亮に対して感じている心の距離の表れのように感じられる。
     GX1期において亮は、カイザーの名を冠する完全無欠のデュエリストとして描かれる。翔はそんな彼を強く尊敬し憧れながら、同時に負い目を感じている。「おにいさん」という言葉は、二人が兄弟であるという関係性を示しているのではなく、あたかも年長の男性を指す名詞に過ぎないような印象を与える。事実、翔は自分が亮の弟であると知られることで、亮の名を貶めることを恐れていた。

     では、「アニキ」という言葉はどのような意味を持つのか。
     翔は十代に対して割りと明け透けだ。アニキをあがめる舎弟として振舞う一方で、平気で毒を吐くし、同級生として気楽に接している。翔ははじめて十代に会ったとき、その前向きな姿勢を不思議に思いながらうらやんでもいた。
     彼のようになりたい。そのような、一歩でも傍に近寄りたいという接近要求が、「アニキ」という普段の翔の言動に対して砕けた呼び名を生んだのだ。
     つまり「アニキ」とは、相手のようになりたいという憧れと、親しみのある関係、この二つを同時に表す言葉なのだ。

     もちろん翔は亮にもあこがれている。兄のようになりたいと思っていないわけではない。
     しかし、1期の翔が亮に抱いている憧れは、崇拝に近い。近づきたいというよりは、恐れ多くて近づけない域だ。1期の翔にとって、亮は聖域なのだ。
     結果、亮への呼びかけは「おにいさん」と他人行儀なものになる。
     つまり「おにいさん」とは、亮と翔の関係を兄弟ではなく他人として隔てると同時に、翔が亮を聖域として崇めるための尊称なのだ。

     この「アニキ」と「おにいさん」の差については、他ならぬ亮自身のセリフからも明確に察することができる。
     亮は、翔に「良いアニキを持ったな」と言う一方で、「俺をアニキとは呼ばない」と心境を吐露する一面がある。
     ここで言う「良いアニキ」とは、十代が翔のためにしてくれた「翔のことを考え、恐れずに翔の気持ちに触れて、より良い方向へと導いてくれたこと」を指す。
     わざわざ「良いアニキを持ったな」と言うことは、亮が自分では良いアニキになれないと思っている裏返しでもある。同時に「俺をアニキとは呼ばない」と胸の内を告白することで、亮が本当は翔にとってのアニキ(=もっと身近で、彼を正しく導いてやれるような存在)になりたいと考えていることを明らかにするのだ。

     しかし現実は、亮自身が自覚してるように、亮はアニキとは程遠い存在である。
     亮は翔への接し方がわからず、パワーボンド封印を命じた真意を最後まで自分の言葉で伝えることができなかった。翔も、亮を尊敬しつつ距離を測りかね、腫れ物に触れるようにしている。
     しかしこの腫れ物あつかいは、丸藤兄弟にとってはお互い様でもあるのだ。



    《考察2》亮と翔の心の距離

     考察1で述べた通り、翔が亮に感じている心の距離は、そのまま亮が翔に感じている心の距離でもある。

     翔が亮を尊敬しているように、亮が翔を弟として慈しんでいるのは明らかだ。幼少期のシーンには、翔が傷つくことを恐れているように取れる過保護な部分すらある。
     その一方で、亮が翔との間に設ける距離は遠い。丸藤兄弟は、別に仲違いするような過去を持つわけではない。(パワーボンドの一件は翔が亮に対して負い目を持ち、自信を喪失する原因ではあったかもしれないが)お互いがお互いを大切に思っているの兄弟なのに、その距離はあまりに遠すぎる。この遠すぎる心の距離のせいで、翔はどうして亮がパワーボンドの使用を禁じたのか、随分長く理解することができなかった。

    (中略)

    (※亮が十代を良いアニキと称した事は、亮が「自分がいなくても翔を任せることができるアニキはいる」と考えることに他ならない。これは、「自分が翔の誇れるようなアニキでいる必要は最早ない」という意識を亮に持たせ、ヘルカイザー化の一助となったのではないかと考えられる。が、まだ4期まで見ていないのでヘルカイザーの真意を見てから要考察)



    《考察3》翔の変化
    (メモ)
    ・カイザーがプロで連戦連敗で案ずる翔→十代の励ましに、この時はまだ笑顔でうなずく
    ・ヘルカイザー化→いつか亮と闘わなくてはならないと決意
    ・亮がDAの大会に参加してると知り、今まで隠れていたのが一転してブルー寮にも引けを取らないデュエルをはじめる(→今まで翔の敗因は調子に乗ったためということが多かったので、思慮深くなった?)
    ・翔はあくまでリスペクトデュエルの精神を教えてくれた亮を尊敬していて、またそんな亮に戻ってほしいと思っている。(→しかし亮はリスペクトを捨て、もっと大きな目標(勝利へのこだわり)を見据えてしまっている模様)



    《考察4》翔vsヘルカイザー
    (メモ)
    ・十代が翔へ向けた「カードが残ってる」という言葉
     →M&Wのオマージュ元であるMTGにおいて、手札は呪文書、知識、精神の象徴である。手札の速攻魔法が呪文書、特殊召喚などで手札から呼び出せるモンスターが知識、そして手札の豊富さはデュエリストの打つ手の多さを示し、精神の豊かさに結びつく。
     →十代の言うカードとは、精神のことだろう。全てに絶望して(デッキがゼロになって)負けを認める時ではないと言いたいのだ。
     →これに対する翔の返答は「カードだけは裏切れない」だ。そしてどれだけ亮自身に否定されても、その亮が教えてくれたリスペクトデュエルを捨てられないと言う。翔は自分の願いを裏切らず、最後までリスペクトデュエルを貫くことを決意したのだ。
    ・同時に、ここで翔は亮が勝利のデュエルを目指すことを許容し、亮がかつて目指していたリスペクトデュエルを継ごうと考える。
    ・デュエル前は以前の亮に戻ってほしいと考えていた翔だが、デュエルを通して以前の亮に戻す(今の亮を否定する)のではなく、今の亮も昔の亮もリスペクトしようと考えるようになる。



    《考察5》リスペクトデュエル
    09/08/14 quitheryne
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