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quitheryne 考察系

  • 【遊戯王原作の考察まとめ】

    ▼考察1. 闇遊戯って何なのさ?
    http://textt.net/quitheryne/20140605063956/1

    ▼考察2. 闘いの儀って何だったのさ?
    http://textt.net/quitheryne/20140605063956/2

    ▼考察3. 闇遊戯ってどうなるのさ?
    http://textt.net/quitheryne/20140605063956/3

    ▼考察4. 精霊ってなんなのさ?
    http://textt.net/quitheryne/20140605063956/4 ※未筆

    ▼考察5. 表遊戯ってなんなのさ?
    http://textt.net/quitheryne/20140605063956/5 ※未筆
    09/07/14 quitheryne
  • 【丸藤兄弟に関する考察】

    《考察1》「おにいさん」と「アニキ」

     翔の実兄に対する「おにいさん」と、十代に対する「アニキ」という呼び方についての考察を行う。
     翔の普段の言動からすると、実兄に対して「おにいさん」とは随分他人行儀な呼び名に聞こえる。十代に対する呼び名が「アニキ」であることからも、その異常性は明らかだ。

     では、なぜ翔は実兄である亮を「おにいさん」と呼ぶのか。それは、翔が亮に対して感じている心の距離の表れのように感じられる。
     GX1期において亮は、カイザーの名を冠する完全無欠のデュエリストとして描かれる。翔はそんな彼を強く尊敬し憧れながら、同時に負い目を感じている。「おにいさん」という言葉は、二人が兄弟であるという関係性を示しているのではなく、あたかも年長の男性を指す名詞に過ぎないような印象を与える。事実、翔は自分が亮の弟であると知られることで、亮の名を貶めることを恐れていた。

     では、「アニキ」という言葉はどのような意味を持つのか。
     翔は十代に対して割りと明け透けだ。アニキをあがめる舎弟として振舞う一方で、平気で毒を吐くし、同級生として気楽に接している。翔ははじめて十代に会ったとき、その前向きな姿勢を不思議に思いながらうらやんでもいた。
     彼のようになりたい。そのような、一歩でも傍に近寄りたいという接近要求が、「アニキ」という普段の翔の言動に対して砕けた呼び名を生んだのだ。
     つまり「アニキ」とは、相手のようになりたいという憧れと、親しみのある関係、この二つを同時に表す言葉なのだ。

     もちろん翔は亮にもあこがれている。兄のようになりたいと思っていないわけではない。
     しかし、1期の翔が亮に抱いている憧れは、崇拝に近い。近づきたいというよりは、恐れ多くて近づけない域だ。1期の翔にとって、亮は聖域なのだ。
     結果、亮への呼びかけは「おにいさん」と他人行儀なものになる。
     つまり「おにいさん」とは、亮と翔の関係を兄弟ではなく他人として隔てると同時に、翔が亮を聖域として崇めるための尊称なのだ。

     この「アニキ」と「おにいさん」の差については、他ならぬ亮自身のセリフからも明確に察することができる。
     亮は、翔に「良いアニキを持ったな」と言う一方で、「俺をアニキとは呼ばない」と心境を吐露する一面がある。
     ここで言う「良いアニキ」とは、十代が翔のためにしてくれた「翔のことを考え、恐れずに翔の気持ちに触れて、より良い方向へと導いてくれたこと」を指す。
     わざわざ「良いアニキを持ったな」と言うことは、亮が自分では良いアニキになれないと思っている裏返しでもある。同時に「俺をアニキとは呼ばない」と胸の内を告白することで、亮が本当は翔にとってのアニキ(=もっと身近で、彼を正しく導いてやれるような存在)になりたいと考えていることを明らかにするのだ。

     しかし現実は、亮自身が自覚してるように、亮はアニキとは程遠い存在である。
     亮は翔への接し方がわからず、パワーボンド封印を命じた真意を最後まで自分の言葉で伝えることができなかった。翔も、亮を尊敬しつつ距離を測りかね、腫れ物に触れるようにしている。
     しかしこの腫れ物あつかいは、丸藤兄弟にとってはお互い様でもあるのだ。



    《考察2》亮と翔の心の距離

     考察1で述べた通り、翔が亮に感じている心の距離は、そのまま亮が翔に感じている心の距離でもある。

     翔が亮を尊敬しているように、亮が翔を弟として慈しんでいるのは明らかだ。幼少期のシーンには、翔が傷つくことを恐れているように取れる過保護な部分すらある。
     その一方で、亮が翔との間に設ける距離は遠い。丸藤兄弟は、別に仲違いするような過去を持つわけではない。(パワーボンドの一件は翔が亮に対して負い目を持ち、自信を喪失する原因ではあったかもしれないが)お互いがお互いを大切に思っているの兄弟なのに、その距離はあまりに遠すぎる。この遠すぎる心の距離のせいで、翔はどうして亮がパワーボンドの使用を禁じたのか、随分長く理解することができなかった。

    (中略)

    (※亮が十代を良いアニキと称した事は、亮が「自分がいなくても翔を任せることができるアニキはいる」と考えることに他ならない。これは、「自分が翔の誇れるようなアニキでいる必要は最早ない」という意識を亮に持たせ、ヘルカイザー化の一助となったのではないかと考えられる。が、まだ4期まで見ていないのでヘルカイザーの真意を見てから要考察)



    《考察3》翔の変化
    (メモ)
    ・カイザーがプロで連戦連敗で案ずる翔→十代の励ましに、この時はまだ笑顔でうなずく
    ・ヘルカイザー化→いつか亮と闘わなくてはならないと決意
    ・亮がDAの大会に参加してると知り、今まで隠れていたのが一転してブルー寮にも引けを取らないデュエルをはじめる(→今まで翔の敗因は調子に乗ったためということが多かったので、思慮深くなった?)
    ・翔はあくまでリスペクトデュエルの精神を教えてくれた亮を尊敬していて、またそんな亮に戻ってほしいと思っている。(→しかし亮はリスペクトを捨て、もっと大きな目標(勝利へのこだわり)を見据えてしまっている模様)



    《考察4》翔vsヘルカイザー
    (メモ)
    ・十代が翔へ向けた「カードが残ってる」という言葉
     →M&Wのオマージュ元であるMTGにおいて、手札は呪文書、知識、精神の象徴である。手札の速攻魔法が呪文書、特殊召喚などで手札から呼び出せるモンスターが知識、そして手札の豊富さはデュエリストの打つ手の多さを示し、精神の豊かさに結びつく。
     →十代の言うカードとは、精神のことだろう。全てに絶望して(デッキがゼロになって)負けを認める時ではないと言いたいのだ。
     →これに対する翔の返答は「カードだけは裏切れない」だ。そしてどれだけ亮自身に否定されても、その亮が教えてくれたリスペクトデュエルを捨てられないと言う。翔は自分の願いを裏切らず、最後までリスペクトデュエルを貫くことを決意したのだ。
    ・同時に、ここで翔は亮が勝利のデュエルを目指すことを許容し、亮がかつて目指していたリスペクトデュエルを継ごうと考える。
    ・デュエル前は以前の亮に戻ってほしいと考えていた翔だが、デュエルを通して以前の亮に戻す(今の亮を否定する)のではなく、今の亮も昔の亮もリスペクトしようと考えるようになる。



    《考察5》リスペクトデュエル
    09/08/14 quitheryne
  • ▼考察5. 表遊戯ってなんなのさ?

    (未定)
    06/16/14 quitheryne
  • ▼考察4. 精霊ってなんなのさ?

    Q.精霊ってなんなのさ?
    A.原作で明示されている定義を述べると、善き心を持った人物のカーが修行によって具現した姿。カードの精霊とニアリーイコールで結ばれる。
     古代エジプトでは、精霊と魔物を明確に区別していたが、成り立ちとしては、ほぼ同一の存在のように思われる。

    本項では魔物からカードの精霊まで、段階的に精霊についての考察を行う。



    ◆考察

    ・魔物
     └古代エジプトでは、悪しき心の象徴とされた。
      人間が悪行に手を染めるのは心に住み着いた魔物が原因とされ、悪人の心から魔物を抜き出し石盤に封じ込めていた。

    ・精霊
     └魔物とは反対に、善き心を持つ人間のカーを具現化した存在。かなりの修行を積んだ物や、ごく一部の才能ある人物のみが生み出せる模様。
      古代編の精霊はここの意識を持たず、生み出した人間の意思に従う存在に見える。
      一方で、マハードが死して精霊(カー)と意志(バー)を融合させ、パワーアップして戻ってきたことや、キサラが生来カーとバーが融合した精霊をその身に宿していたが、その精霊の力が新しい神と評されるほど強力だったことから、カーとバーの融合は精霊を極めて進化させると予測できる。
      マナの精霊は最初からマナの意識が混ざっているようなので、ひょっとしたらマナは恐ろしく天才なのかもしれない。(マハードがマナが精霊を呼び出せることに驚いていたことから、ほぼ独学の可能性もある)

    ・カードの精霊
     └古代の魔物や精霊とニアリーイコール。カードのモンスターはペガサスが古代の石盤からインスピレーションを得て描いたものとされているが、その源は信仰であると思われるため、人の心が生み出したものとも言える。
      青眼初出やパンドラ戦のBMの様子から、カードの精霊はある程度の心を持っている模様。これは、カードの精霊が古代の精霊(カー)から一歩進化した、バーとの融合体であることを示す。

    (加筆予定)
    09/08/14 quitheryne
  • ▼考察3. 闇遊戯ってどうなるのさ?

    Q.闇遊戯ってどうなるのさ?
    A.考察2でまとめた通り、冥界に行って神になる予定だが、カーがないため保留状態でバー単体維持。

    本項では、これより後の闇遊戯の行方について考察する。


    ※考察に必要な前提知識;古代エジプトにおける魂の行方について
    ・人が死ぬと、バー(人格)は体を抜け出して自由に動き回ることができる。ただし、夜の間はカーからエネルギー供給するために肉体に戻る。
    ・カーは死後も肉体にとどまる。
    ・神の審判を受けて公正な魂であると認められれば、バーとカーは融合して不滅の存在アク(死後の世界の姿)となり、来世(冥界)で暮らす。
    ・冥界は病気も老いも争いもないため、終わりが無いのが終わり。魂の終着点。不滅。
    (加筆修正予定)


    Q.冥界で保留状態の間、闇遊戯はどうするのさ?
    ⇒この問いについて、原作の感動を全て過去に帰して、A1,A2,A3 の三種類の可能性を考察する。

    A1.惰眠をむさぼる。
     3000年ニート再び。
     魂の審判を行う儀式の準備(アテムのカー=表遊戯との合流)が整うまでの3000年間を千年パズルの中で眠っていたように、カーが冥界に来るまで眠る、という説。個人的には正史。何、今度は表遊戯が天寿を全うするまでの間だから、3000年に比べたらそんなに長くはかからんよ。
    (闇のゲームで魂のやり取りをしているのを見ると、闘いの儀で表遊戯が負けたら負けたでカーを奪われて闇遊戯が即アク(神)化してたんじゃなかろうかと思うとちょっと面白い。表遊戯が勝ったルートで、闇遊戯をカード化するために表遊戯のカー抜かれちゃってウンタラカンタラって二次創作ないですか?)

    A2.転生する。
     二次創作では良くあること。
     ただし当考察では基本的に古代エジプト人の魂(バーの方)は転生しない説を採用しているので、闇遊戯が転生するのはかなり強引な手段を採ったことになる。神官セト→海馬やシモン→双六はカーの転生なので姿形は似ていても記憶はないが、闇遊戯はバー(記憶や意識)のため記憶を持ち越す可能性が高い。
     なお転生した場合、闇遊戯は新しいカーを得ることになるので、表遊戯のカーと融合する必要がなくなる。

    A3.カードの精霊(未満)になる。
     原作の感動をすべて過去にする!!!
     A1で「眠る」となったのは、闇遊戯がバーだけの存在であり、カーからエネルギーの供給を受けないと活動できない存在であるため。原作期間で闇遊戯が活動できたのは、表遊戯のカーからエネルギーの供給を受けていたから。なので、闇遊戯はまた表遊戯のところに戻ってくれば神になるまでの間眠らずに済む。つまり、闇遊戯がまた表遊戯のところに戻ってくる説。最終回とはなんだったのか。
     闘いの儀の前との違いは、審判を受け終わったため心臓(千年パズル)が不要となり、エネルギー供給(夜)のとき以外は表遊戯から自由に離れて行動できる点。(本来ならバーは死後自由に動き回り、審判後はアクと化すのでこの解釈はおかしいのだが、アテムの体が失われた状態で千年パズルが無理やりバーを繋ぎとめていたことと、審判を終えたにも関わらずカーと融合できない特殊な事情を鑑みて考察)
     また、ウジャトに認められたので神(カードの精霊)に一歩近づき、何か神っぽい能力を持つようになっているかもしれない。バーの闇遊戯とカーの表遊戯で一時的にシンクロ召喚してアクを呼び出したりできるかもわからない。
    06/14/14 quitheryne
  • ▼考察2. 闘いの儀って何だったのさ?

    ◆原作で明示
     └ ウジャト眼がファラオの魂を見極めるための儀式
     └ 儀式で冥界に行く資格があるとみなされると、冥界の扉が開く


    ※考察に必要な前提知識;古代エジプトの生死観について
     闇遊戯が生存していた時代のエジプト第18王朝は、復活信仰の時代だった。
     復活信仰とは、沈んだ太陽がまた昇るように、死者もまた甦るという信仰である。甦るために死者は心臓を秤にかけられてオシリスの審判を受け、また甦ったときのために肉体をミイラにして保存した。ただし、この復活の権利はファラオ(と、それに近しい極一部の神官)だけのものとされていたため、民間でミイラを作ることは無かった。(ただし、王朝末期では王室再生神話系列の弱体化により、民間でもミイラを作るようになった。死者は冥界の支配者であるオシリスが治めるイアルの野に住まうと考えられた。)
     ちなみに、審判で復活の権利を得られなかった者は、心臓をアメミットに貪られる事で失い、消滅すると考えられていた。
     古代エジプトの生死観において、来世とは死後の世界のことである。審判に合格した死者は「祝福された死者」と呼ばれ、アクと呼ばれるバーとカーが融合した不滅の存在となり、冥界で平和に暮らすと考えられた。
    ("知っておきたい世界と日本の神々", 松村一男、"知識ゼロからのエジプト入門", 近藤次郎 より)

    <アク>
     バーとカーが融合した不滅の存在。冥界で暮らすものはこの形を取る。
     うまくアクの形を取れなかった死者は消滅して永遠に失われる(冥界に行くことができない)と考えられたため、バーとカーがうまく融合できるように様々な儀式が執り行われた。

    <冥界>
     来世の地。死後の世界を描いた壁画などでは、イアルの野という記述が良く見られる。
     冥界は生前の最も幸福な状態を再現した土地で、老いも病もなく平和で、生前と同じ生活を永遠に続けられる場所とされた。
     古代エジプトにおける来世とは、この冥界での生活のことである。

    <ウジャト眼>
     ホルスの目とも呼ばれる。ホルスは天空の神で、その右目は太陽、左目は月を象徴するとされた。
     ウジャト眼はホルスの左目とされ、そこに映ったものは夜の象徴であるオシリスも見ることができると信じられた。(太陽はラーの目と考えられた)
     ホルスの目は長らくセトに奪われていたが、時を経てホルスの元に戻ってホルスの傷を癒したため癒しの眼とも呼ばれ、癒しや安全と保護のシンボルとされた。
     古代エジプトでは魔よけとして好まれた。


    ◆考察 
    ・闘いの儀とはなんだったのか?
     └ 原作で明示しているように、疑うべくも無く闇遊戯が冥界へ行くための儀式

    ・冥界に行ったらどうなるの?
     └ 一般市民なら冥界の住人となって永遠に平和に暮らす。
     └ しかし第18王朝のファラオは違い、ファラオは死して神の審判を受け、神(オシリス)と1つの存在になると考えられていた。
     └ 原作内でアテムはオシリス達を従える立場にあったため、既存の神々より強い存在であると考えると、新しい神になる可能性が高い。
     └ さらに原作内では、死んだ人間のカーが石版に投射され「カードの精霊」として具現化した。また、カーは魔物と表記され、バーはその意志の力の強さによってカーを従えるとされている。これより、魔物としての力はカー、カーとバーが融合してアクとなった状態が精霊なのではないか?

    ・それはそれとして、闇遊戯はちゃんと冥界にいけたのか?
     └ 行けた……ように原作では描かれている。ウジャト眼もゴーサインを出した。
     └ ただ1つ問題があって、【考察1】で闇遊戯はバーであると考察した。冥界で暮らすためにはアクとなる必要がある。アクはバーとカーが融合した存在だ。闇遊戯にはカーがないため、アクになれない。

    ・闇遊戯のカーはどこに行っちゃったの?
     └ カーは肉体に宿っているものなので、肉体が失われた時点で消滅するはず。
     └ ただし原作において、古代エジプトの神官セトが海馬に転生したという描写があり、転生の可能性を認めている。(双六がシモンと酷似していたりもする)
     └ また、表遊戯と生前の闇遊戯は非常に似通っている。このことから、表遊戯はアテムの転生体である可能性が高い。ただし、アテムのバーは闇遊戯として千年パズルに封印されていたため、肉体の崩壊で現世にとどまれなくなったカーが転生した。表遊戯以外に誰も千年パズルを組み立てることができなかったのは、千年パズルはファラオのバー(闇遊戯)を支えることができるカーの持ち主(ファラオのカーの転生体)を待っていたためでは?

    ・結局、闇遊戯ってどうなるの?
     └ 冥界の扉に迎えられたので冥界に行く。来世が冥界。そして神になる。
     └ ただし神(カードの精霊=アク)になるための要素がたりないので保留状態になる。(カー待ち状態)

    ∴ まとめ 
    ・闇遊戯はファラオアテムのバー
    ・表遊戯はファラオアテムのカーの転生体
    ・闇遊戯はファラオの魂として冥界に行って神(カードの精霊=アク)になる……予定だが、アクになるためにはカーが足りないのでまだなれない
    ・カードの精霊はバーとカーが融合したアク(どっちかというと影の気がするが、原作で影について触れていなかったので割愛)
    ・セトは転生してるので、多分あいつ冥界に行けなかった
    06/08/14 quitheryne
  • ▼考察1. 闇遊戯って何なのさ?

    ◆原作で明示
     └ 3000年ほど前に死んだファラオの魂。千年パズルに封印されていた。
     └ パズルが完成した状態でないと姿を現すことができない。(DDD編)


    ※考察に必要な前提知識;古代エジプトの魂の概念について
     古代エジプトの宗教観において人間は、肉体・心臓・名前・バー・カー・影の要素で構成されていると考えられていた。(ちなみに肉体以外は全て魂の構成要素)考察する人によってはアクが含まれたり心臓が含まれなかったりするが、今回は心臓・バー・カーについて簡単に説明。
     バーとカーはどちらも魂と翻訳されることが多いが、エジプト独特の概念であるので意訳せずに「バー」「カー」とそのままの発音で表記することを推奨されている。("A Study of the Ba Concept In Ancient Egyptian Texts.", Louis V. Zabkar より)

    <バー>
     魂。人の人格や意思の部分。死後、肉体を抜け出してふらふらできる、幽霊のようなもの。
     精霊と訳されることもあるが、遊戯王においてカーが魔物(カードの精霊)として扱われるため混同してややこしくなるので忘れていただきたい。

    <カー>
     生命力。魂の一部であるが、意思などはない。
     肉体に宿って動くことは無く、生前死後変わらず食べ物を生命エネルギーに変換する役を担っている。このため、バーは夜の間カーの宿る肉体に戻りエネルギーを補充する必要があると考えられている。("古代エジプトうんちく図鑑", 芝崎 みゆき より)

    <心臓>
     人の意識が宿る部位と信じられた部分。
     死後はこれとマアト女神の羽とを天秤にかけることで、生前に不正を行っていなかったかの審判を行った。不正者はアメミットに心臓を貪り食われ、二度と復活できず永遠に消え去ることになる。


    ◆考察
    ・闇遊戯は個としての意思を持っている
     └ つまり闇遊戯は、ファラオの魂の中でも「バー」にあたる部分である

    ・バーのエネルギー源は?
     └ カーがバーにエネルギーを供給するためには、飲食をしてエネルギーを得なければならない。したがって千年パズルは不適当。表遊戯が闇遊戯(バー)のエネルギー源(カー)を担当していると考えられる。

    ・千年パズルは?
     └ バー(意識)が宿っていたこと、逆三角形の形、胸元に下げることなどから、心臓を表しているのではと考えられる。ファラオの肉体は3000年前のあれやこれやで失われているので、代理の心臓となった。(本当は心臓なくしたら消えちゃうけど、いろいろがんばった王様だし千年アイテムだし多少は、ね?)


    ∴ まとめ
    ・闇遊戯はファラオの魂のバーの部分
    ・闇遊戯はバー、表遊戯はカーの関係
    ・千年アイテムは心臓代理
    06/28/14 quitheryne
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