Frag:噂をすれば影が差す
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審神者と刀剣男士たちの拠点たる本丸は、時空間隙に設けられたサーバーと呼ばれる特異空間に存在している。
そこは世界の未来を守る戦場の最前線。故に、霊的技術の最先端を駆使して隠蔽が施され、厚い守護に覆われている。
だから、その本丸のひとつからの定期連絡が途絶えたという報告は、サーバー管理に携わる術者の多くを震撼させた。
「本丸を構成する術は、審神者の死亡報告をした後すみやかに本丸空間を閉鎖消滅させるようになっている。
現在、本丸と通信網および通常の転送陣の発動が封鎖されているようだが、緊急開放経路は正常に動作していることが確認されている。本丸空間の消滅術式の発動兆候は見られない。よって、目標本丸の審神者は生存していると見られる。
しかしこれはあくまで予想。目標の現状は一切不明。我々の最大目標は、該当本丸の現状を確認しその情報を持ち帰ることだと忘れないで欲しい」
年頃の娘らしい手入れも知らぬ、荒れた指先が紙面をめくる。
「確認すべき情報の優先事項は、第一に審神者の安否。安全確保までできれば申し分ない。第二に、本丸の機能異常の原因究明。可能であれば回復作業を行う。
まあ、こんなところかな」
別行動をする予定はないが、目標の共有は重要だ。
娘は並ぶ顔ぶれを見渡して、特に質問があがらないことを確認する。
「それじゃあ、行こうか」
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あいもかわらず荒れた指先が端末のディスプレイをなぞる。
その様を、宗三左文字は呆れ顔で眺めた。
最も、彼はいつも目をすがめた気だるげな表情をしていて、主たる娘はそんな彼の平常時の顔と今の呆れ顔との区別が付かなかったため、その様子を大して気にも留めなかったが。
貴族の令嬢のように身を美しく保つことに何時間も掛けろとは言わないが、せめて冬場に指先が割れる目に遭わない程度に手入れはして欲しい。この娘に対してそう思っている彼女の刀剣男士は多い。
しかし、いかんせん本人の気質が身づくろいに向いていないため、暇のある時に小言とともにハンドクリームという現世の手入れ薬をすり込んでやるのが精一杯だ。
宗三は、まるで聞く耳を持たぬ娘にくじけることなく念仏のごとく説教を説き続ける彼女の初鍛刀男士の姿を思い、ため息を呑み込んだ。
「おかしいな、特に異常があるようには見えないんだけど……」
ある一定以上の角度からの光を完全に反射するよう加工されたディスプレイは、操作主以外にその内容に漏らさない。そのため宗三は、主が見ている画面を覗き込むことはできない。しかし、彼女が何をしているのかは大体察することができた。
娘は、この本丸を構成する術式に何か不備がないか確認しているようだった。
娘の指がせわしなくディスプレイの上を行き来する中、その斜め後ろに控えた宗三は周囲を見渡した。
鮮やかな群青の空が広がっていた。沸き立つ入道雲の白とのコントラストがまぶしい。さえぎるもののない日差しは、暴力的といって差し支えない熱を大地に与えている。
それらは夏の庭と呼ばれる景趣の物だとすぐに知れた。
さわやかなはずの夏の景色は、しかし今はただ、不気味さをもってそこにあった。
まず第一に、音がしない。
日本の夏といえば、蝉の鳴く音を記憶に持たぬ人間はいないだろう。それが、この本丸ではシンと静まり返り、鳥のさえずりすら聞こえない。
第二に、空間が凪いでいる。
風に代表されるような気の流れが、この本丸では完全に静止していた。淀んでいると言っても差し支えない。勝手に失礼させてもらった軒下で、むなしく垂れ下がって微動だにしない風鈴は、この空間の異常さを明確に突きつけてくる。
連絡が途絶えたという本丸は、審神者どころか刀剣男士の気配ひとつ感じられない、無音の地と化していた。
「連絡をする人物が消えたから連絡が途絶えた。そういうことじゃないんですか?」
「それだとサーバー管理側からの転送経路が封鎖されてしまってる理由がわからない」
首を傾げる宗三に、彼の主は唇を指先でなでて思案しながら返答する。
今わかるのは、もう少し詳しく本丸を調べなければならないということだ。
「ひとまず、まだ見てない区画の調査だね」
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個人情報
シメイ:■■■■ ■■■
氏名:■■■ ■■
生年月日:2■■■年■■月■■日(満■■歳)
性別:男
住所:(情報削除済み)
戸籍番号:(情報削除済み)
審神者情報
号:鳴沢(ナルサワ)
・満■■歳時に、第二審神者制度の発足により徴集。
・江戸時代に出陣中。
戦績:(情報削除済み)
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自身のセキュリティクリアランスレベルで閲覧可能な情報量の少なさに、娘は痛むこめかみを揉みほぐした。
公的な会議の承認を受けたわけでもない、周囲から一目置かれているというだけの術者に個人的に雇われた身であることを考えれば、一般に公開されていない情報へのアクセス権があるだけでも御の字と思うべきなのか。なんにせよ、戦績を閲覧できないのは辛い。刀帳や刀剣収集の項目を見ることができないため、この本丸の刀剣男士の現存情報を得ることができない。
娘は、鳴沢の号を持つ審神者の肖像写真を呼び出し、目の前の男と見比べた。
写真の中の男は、清潔感のあるワイシャツをまとい、床屋で整えたばかりであろう髪で、証明写真らしい真面目な表情で正面を見つめている。一方で娘の目の前にいる男は、バリカンで整えているのか短く刈り込まれた頭と、夏の景趣に合う涼しげな甚平を着て、目の落ち窪んだ疲れた表情を晒している。髪の長さや衣服の差異はあれど、同じ人物であると娘は判断した。
「状況確認のため、失礼ながらもう一度号をお願いします」
「えっと……鳴沢、です」
「あなたは本丸 euj062-564456 を維持管理を担当する審神者本人に間違いありませんか?」
「あ、はい……」
娘は会話内容を録音しながら、メモにも内容を書き留める。
鳴沢と名乗った審神者の男は、戸惑うような表情で娘を、そしてその後ろに控える宗三左文字を見比べた。
「あなたも審神者、ですか?」
「刀剣男士を顕現し歴史修正主義者と戦っているのか、という意味なら、その通りです。
私の号は白棘草(シロイラクサ)。現在は有力な巫術師の一人から個人的な依頼を受け、定期連絡が途絶えた本丸 euj062-564456 の調査に来ました。こっちは近侍の宗三左文字」
鳴沢の視線が宗三に向く。宗三はあごを引く程度の軽い会釈を返した。
「あなたの安全確保は任務の中でも最重要事項に位置します。
しかし、本丸 euj062-564456 の機能回復も重要な任務のひとつです。ご協力願いたい」
「それは、もちろんかまいませんが……」
なぜ定期連絡を行わなかったのか。
刀剣男士たちの姿が見えないようだが、どこにいるのか。
サーバー管理側からの転移陣展開が阻害されているが、心当たりはあるか。
聞きたいことは山ほどある。
しかし、一度に聞いても、やや心神喪失状態に近い傾向を見せる鳴沢を混乱させるだけだろう。
白棘草の号を名乗った娘は、慎重に質問内容を選び始めた。