結論から述べるなら、少女は見事に石切丸の手入れを完遂した。
石切丸は、傷ひとつなく磨き上げられた自身の刀身を前に、あんぐりと口を上げた。
「できました!」
少女が得意げに胸を張る。
石切丸はヒソヒソとこんのすけに説明を求めた。
「どういうことだい!?」
「こ、こんのすけめにもなにがなんだか」
こんのすけは改めてこの本丸の資源管理状況をモニタする。
各資源は、先ほどの保有数からきっちり石切丸の手入れに必要だった分だけ減っていた。そして、手伝い札の数は変わっていない。
つまり、間違いなく手伝い札なしの手入れが実行されたはずだった。
「なんでこんなに早く手入れが終わったんだい?」
「途中までは普通だったのですう!」
こんのすけは無実をこんこん訴えた。
刀剣男士の怪我とは、霊質の欠損である。本霊から細い縁の糸によって降ろされた刀剣男士は、自力でそれを補う術がない。だから、審神者による手入れが必要なのだ。
刀剣男士を構成する霊質は、本丸運営の要である各種な資材から得ることができる。そもそも資材とは、刀剣男士に合わせた霊質の結晶体なのだ。
手入れでは、まずはじめに刀身に付着した血糊や古い油を綺麗に拭い取る。この時に打ち粉を使う。続いて、手入れの要となる資材の霊質を溶かし出し、それを刀剣男士の欠けた部分に流し込んで埋めてやる。最後に刀身を磨き上げ、錆防止に新しい油を引いてやることで仕上げとするのだ。
今回少女が手入れをするにあたり、はじめの血と油を拭う作業は石切丸自身がした。石切丸は刀剣男士の仲でもかなり大きい方の刀なので、慣れない少女には危険だと思ったのだ。
そもそも、古い油を拭い新しい油を引く手入れは、刀であれば錆防止のために小まめに行うべきものだ。よっぽど重症で動けないということがない限り、大抵の本丸では自分でする作業である。だから、少女はおとなしく石切丸の手入れを見守った。
そして、いよいよ少女の出番がきた。
こんのすけはまず、少女の霊気を慎重に導いて資材を融解させた。いきなりすべてを溶かすわけではない。少女の霊気を見張りながら、まずは極少量を正しい資材比率で霊質へと変えた。それを石切丸の欠けた部分に合うように変容させながら、ゆっくりゆっくりと流し込む。
これが手伝い札を使用した手入れなら、必要量の資材を一気に融解させ、あらかじめ調べておいた欠損箇所の形に合わせて霊質を流し込む。通常の手入れの場合は、資材を一気に溶かすことこそないが、資材融解から穴埋めまでを流れ作業のように繰り返すので、こちらもかなりスムーズに資材の消費が進む。
しかし今回は、手入れ初挑戦の審神者ですらない少女の様子を確認しながらの手入れだ。慎重に慎重を期したこんのすけの補佐の下、最初の資材融解から実際に石切丸の刃に霊質が注がれるまで、優に数分は要した。
一番最初の霊質の注ぎ込みが終わり、石切丸とこんのすけはほっと一息ついた。さすがに、短刀の手入れにすら足りない量の資材では少女の霊気も尽きなかったようで、こんのすけは次の資材に取り掛かろうとした。
その時だ。石切丸の手入れのために必要と用意していた資材が、目の前ですべて融けた。
驚愕の声をあげる間もなく、資材から溶け出した霊質が少女の周囲を渦巻いた。
そしてこんのすけは"視た"。資材から溶け出した形そのままの原質的な霊質が、少女の手元で著しく変容し、石切丸の刀身の傷へと注がれていくのを。
なんだこれはと、こんのすけも石切丸も動揺した。大量の資材を溶かす技も、それを高速で変容させて刀剣の欠損を埋める様も、これはまるで手伝い札を使った時の現象ではないか。
しかもだ。本来手伝い札の消費にはこんのすけが必要だ。手伝い札を消費して大量の資材を一度に溶かし、溶け出した霊質が散って消えてしまわないように手伝い札の結界で手入れ部屋にとどめる。それらには、審神者の霊気を借り受けたこんのすけの補佐が必要なはずなのだ。
それが、こんのすけが驚いている間に、手伝い札も消費せずに成されてしまった。
「ひとつだけわかるのは……」
こんのすけは少女を見上げた。
「彼女はとても器用でいらっしゃるということです」
「器用とかそういう問題かい?」
「しかし、そうとしか表現のしようが!」
そもそも、手伝い札もこんのすけの補助もなしに同程度の手入れをするというのは、原理的に不可能なことではない。
現在、審神者の本分は歴史修正主義者との戦争にある。そして、戦力の要である刀剣男士の顕現ができる能力が最重要視され、ごく一部の戦闘系と称される人物を除き、霊力を操る術を極める訓練を行うことはない。つまり、審神者たちが就任前に学ぶのは、こんのすけや本丸システムの補佐を前提とした必要最低限の霊力の行使なのだ。
そのことをこんのすけは石切丸に説明する。
「つまり、彼女は天性の手入れ能力者ってことかい?」
「いえ、手伝い札に仕込まれた術式は、鍛冶神に仕える一等級の術者がその技術を封じ込めたもの。その理路整然さが彼女の手入れにはありません。
そして、いくら霊力の行使がうまかったとしても、あの霊気の量であれだけの資材を扱える理由にはなりません」
「……つまり?」
「かなり曖昧な説明となりますが、それが彼女の本質なのでしょう」
「本質……変容か!」
「そうです。資材の融解も、刀剣男士に合わせた霊質の変容も、本来ならそれ相応の量の霊気を消費するもの。それを、彼女は触媒でも存在するかのようになでるだけで終わらせてしまう」
「……ということは」
石切丸は、自身の頬に汗が伝うのを感じた。
「多分、刀剣男士様方全員手入れできちゃいますね。このままですと」
石切丸は、十分ほど前のうかつな己の返答を呪った。