Textt

  • Textt
  • Blog
  • Create a new account
  • Sign in

quitheryne 刀剣

  • 祈りの夜明け1

     全身をじっとりと包む熱の不快感に、少女の意識はまどろみから浮上した。
     起なければと頭のどこかが囁いたが、元々の低血圧がたたり寝汚い方なので、重いまぶたが開かない。覚醒したとは言いがたい状態だったが、じりじりと上がり続ける気温と汗で首筋に張り付いた髪の不快感はひとしおで、少女は二度寝かなわず手探りで目やにをぬぐった。

     転がったまま腕を上げて背筋を伸ばせば、さすがに目がさめてくる。少女はあくびをひとつ、腕を頭上に伸ばし、寝ている間に固まってしまった体をほぐした。
     あくびを終えた少女が薄目を開ければ、見慣れた青の髪が視界に入った。
     少女は大切な家族がいつもどおり隣で寝ていることに顔をほころばせる。そして、瞬いた。見慣れない緑を目に留めたのだ。

    「たたみ?」

     記憶にある物よりなんだか薄汚れているが、間違いなく畳だ。
     自室のベッド以外の場所で目覚めた記憶のほとんどない少女は、見慣れぬ光景に身を起こした。

     少女は自身の右手を見下ろす。
     そこには少女のものより一回り小さい手が握られていた。それはいつものことだ。
     小さな手の主は、少女のかたわらで猫のように身を丸めて寝入っている。少女の大切な家族、さよだ。

     少女は、自分たちが畳の上で並んで寝ていたことを知った。どおりで、なんだか少し体が痛いような気がする。やわらかな寝具しか知らない現代っ子は貧弱なのだ。
     ただし、少女が頭を預けていた場所には、見覚えのある柄の布が丸めてあった。少年の縹(はなだ)色の髪に影を落としたような暗色の布地に、濃藍の紋様と縁取り。少女にはそれが少年の袈裟だとすぐに知れた。つまりこれは、さよの少女に対する気遣いというわけだ。
     しかし、なぜ気遣いが必要な場所に寝ているのか、それがわからない。

    「さよ。ねえ、さよ」

     寝起きでかすれた少女の声は消え入りそうなほどにか細かったが、さよはパチリと両目を開いた。少女の起床の様子とは、まるで正反対だ。
     さよはしなやかな動きで身を起こす。その双眸が、少女を見つめた。

    「おはよう」
    「……おはよう」

     さよの挨拶に、少女はたっぷり二拍は置いて答えた。明らかに、頭に血がめぐっていない。

    「体調はどう?」
    「悪くはない、と思う、けど」
    「けど?」
    「……エアコンが恋しい」

     公立の小中学校にも冷暖房が完備されるご時勢である。もう一度言うが、現代っ子は貧弱なのだ。

     さよは数度瞬くと、慰めるように少女の頭をなでた。そして、丸まっていた袈裟を拾い上げると、慣れた手つきで身にまとう。

     少女は周囲を見回した。完全な畳張りの部屋に、やはり見覚えはない。
     廊下に面した障子とその向こうの雨戸は、どちらも開け放たれていて、夏の朝の日差しを浴びる草木を臨むことができた。

    「ここ、どこ」
    「覚えてないの?」

     少女は少しの間首を傾げ、そしてうんとうなずく。

    「どこ?」

     もう一度たずねた少女に、しかしさよは答えず、すっと立ち上がった。

    「お目覚めになりましたか」

     聞き覚えのない声に、少女は身をすくませた。
     開け放たれた障子の先の廊下、少女にとってはさよの向こう側に、人影があった。

     大きい。鴨居に頭をぶつけそうなほどの長身だ。少女はポカンと口をあけて、その人物を見つめた。
     黒を基調とした和装も、鮮やかな朱の隈取が目を引く端正な顔立ちも、一部のゆがみもなく真っ直ぐ伸ばされた漆黒の髪も。それらすべてがあまりに縁遠く、少女にとってはなんだか作り物めいて見える。
     だけど、どこか見覚えがあるような。

     ぐるぐると思考する少女の代わりに、さよが口を開いた。

    「起きたけど、寝起きで少し混乱してる」
    「なんと。それはそれは……」
    「だから、もう少し待ってほしい」
    「もちろんかまいませんよ」

     なんだか少女の知らない場所で会話が進んでいく。

     その時、少女の脳裏にひらめくものがあった。
     やはり畳張りの、広い広い大広間での出来事だ。そこにたくさんの男の人たちがいて、それぞれがかなり個性的な服装をしていた。彼らは刀剣男士と呼ばれる人ならざる存在で、確か彼らを虐げたどうしようもない人間がいて。それから、それから。
     その部屋にいた男たちの中に目の前の男がいたことを、少女はやっと思い出した。

    「刀剣男士さん」

     声をあげた少女を、長身の男がパチクリと瞬いて見下ろす。

    「太郎太刀だよ」

     さよが情報を補う。
     少女は「たろうたちさん」と復唱した。

     不意に少女は立ち上がった。自身と太郎の間に立っていたさよの肩をつかみ、自分の方を向かせる。

    「なに?」

     首をかしげたさよの頬を、少女は両手で包み込んだ。そのままペタペタとなでまわす。
     さよは嫌がる風もなく、少女をじいと見つめた。

    「生きてる」
    「殺さないでよ」

     真面目な表情で呟く少女に、淡々と返すさよ。そんな二人を、太郎は廊下から眺める。
     大広間で相対したときはずいぶんしゃんとした少女に見えたが、今は寝起きのせいか、かなりマイペースな様子だ。しかし、さよの平然とした反応を見るに、これが彼女の素の姿なのかもしれない。

     そうしてさよの頬をいじり倒していた少女だったが、不意にさよの頭に両腕をまわした。そのまま彼の頭を抱き寄せる。
     さよの髪に顔をうずめるようにしてうつむいてしまった少女の表情をうかがい知ることは、刀剣男士の中でも一、二位を争う長身の太郎太刀にはできない。しかし、少女に応えるように彼女の背に回されたさよの手が、ことのほか優しく少女をあやすのを見て、よく見知っていたはずの少年が、本当にひどく遠い存在になってしまったのだなと、太郎は改めて思い知った。

    「なんか、いろいろ思い出してきた」
    「そう」

     少女はさよから身を離し、太郎の方に向き直った。

    「なんか予想外に大事になって、本当にスミマセンでした」

     うなじが見えるほど深々と頭を下げる少女に、太郎はとまどう。
     確かに、少女の襲来は様々な物をもたらした。呪いの気配がすっかり失われた離れ屋敷。分厚い雲の吹き払われた清々しい夏空。そしてなにより、みんなの心に重くのしかかっていた『彼』の開放。余波で少しばかり庭がボロボロになってしまったが、そんなものは些細なことだ。特に、『彼』を解放してくれたことに関しては、感謝してもしきれないところがある。

    「あなたに礼を言うことはあれ、謝罪をされるようなことはなにも」
    「いや、でも、傷つけないって言ったのにやらかしたし」
    「『彼』はもう折れていたのだと聞きました。あなたは『彼』の歪みを正し、あるべき場所へ還してくれた。その行いを非難するものはいませんよ」
    「……そんなもんですか?」
    「ええ、そのようなものです」

     もじもじと手持ち無沙汰にしていた少女の手を、さよがサッと握った。少女ははにかんでその手を握り返す。
     そうして、少女は太郎を見上げた。

    「それじゃあ私たち帰ります。
     できたら、帰る前にみなさんにあいさつできたらって思うんですけど」

     そんな少女の言葉に、しかし太郎は身を強張らせた。
     太郎は元々表情が豊かなたちではない。しかし、彼が息を詰まらせたことは、初対面の少女にも伝わった。

    「もちろん、迷惑じゃなければですけど!」

     あわてて付け加えた少女に、さよは首を横に降った。

    「違うよ」
    「な、なにが?」

     少女はさよをすがるように見つめる。

    「昨日、君が眠ったあと、説明だけして帰ろうとしたんだけど」
    「あいさつせずに帰るところだったのか……」

     さよはかまわず続ける。

    「こんのすけに門を開くように言ったら、開かなかったんだ」
    「えっ」
    「あわてたこんのすけが政府に連絡を取ろうとしたら、通信網も断絶してるって」
    「ええっ」
    「原因を調べるって姿を消したから、多分戻ってくるまでは帰れないよ」
    「えー……」

     少女は天を仰いだ。
     帰ると宣言した少女におかしな反応を見せた太郎は、多分そのことを知っていたのだろう。
     しかし、姿を消してから一晩経っているわけだから、一度くらい状況報告に来てもいいものではないだろうか。
     そんな少女の思考を察知したのかはわからないが、視界の端からパッと躍り出る影があった。

    「はひーお待たせしましたあ!」

     噂をすれば影が差す。こんのすけだ。

    「こんちゃん、帰れないってほんと?」
    「こんのすけですよ審神者様!」
    「こんちゃんがこんちゃんじゃなくてこんのすけだって言うなら、私だって審神者じゃないよ」
    「そうでした」

     こんのすけは咳払いをひとつして仕切りなおす。

    「いろいろ修正システムを試してみましたが駄目でした。そもそも、修正システムを含むプログラムの根幹にダメージが入ってしまったようで、救難信号も送れません」
    「救難信号の意味ないじゃん、ひどいシステムだな」
    「ひええ、お許しを……」

     こんのすけは自分が作ったわけじゃないのだと涙ながらに訴えるが、少女にとって重要なのはいつになったら帰れるかだ。

    「それで、どうするの?」
    「それがですね小夜左文字様」
    「小夜左文字じゃない」
    「ひええ! そうでした、そうでした!」

     同じ失敗を繰り返しているらしいこんのすけに、少女はなんだか不安になってきた。

    「結論から申しますと。現状こちらでできることはありません」
    「あきらめた!」
    「リカバリ領域押さえられたらなにもしようがないんですよう!
     しかし、手をこまねいて待つつもりもありませんよ!
     審神者様たちには、就任の契約時に結ばれる審神者ネットワークなる霊脳通信網があるのです。そのネットワークは本丸の機能とは独立してるので、外部と連絡が取れるはず。それで政府に助けを求めましょう!」
    「審神者じゃないんだって」
    「アアアアアアアア」

     哀れ、こんのすけは畳に伏した。

     なにかブツブツとささやきだすこんのすけ。
     ピクリとも動かなくなったこんのすけが、少女はなんだか気味が悪くなって、距離を取ることにした。

    「たろうたちさん。なんだか帰るのに時間がかかりそうなので、お世話になりますってみなさんにあいさつしたいです」

     少女に名を呼ばれ、今まで一歩引いた位置で事の成り行きを見守っていた太郎は、その長い髪をゆらりと揺らした。

    「皆あなたに礼を言いたがってましたから、お会いできれば喜ぶはずです」
    「だって、さよ」
    「いいと思うよ」
    「よければ案内しましょう」
    「お願いします!」

     少女はうなずいた。
     少女を先導するために背を向けた太郎は、しかし背後から「たろうたちさん」と声があがったので、再び振り向いた。

    「なにか?」
    「えっと」

     少女は太郎の前で髪に手ぐしを通し、ちょいちょいと服のすそを引いて佇まいを整える。

    「今回はお騒がせしてすみませんでした。
     かもう少しやっかいになりそうですが、よろしくお願いします」

     深々と頭を下げた少女に、太郎も正面を向き直る。そして、彼も頭を下げた。

    「こちらこそ、仲間を救っていただいて、本当にありがとうございました」
    「あの。私は、自分の家族のことしか考えてませんでしたから」
    「あなた方に救われたことは事実です」

     『あなた方』と、太郎は少女とさよをまとめて指して、礼を述べた。さよは平然とした様子で、なにを考えているか太郎には読み取れなかったが、少女は戸惑った様子でうめき声を上げた。
     あの苦境の中でも、生来の明るさでみんなを元気付け続けた兄弟刀と違い、太郎は笑い方というものを知らない。しかし、この少女が耳を赤くしてうつむく姿を見ていると、その知らないはずの行為を思い出せそうな気がした。

    「では行きましょうか」
    「あ、はい!」
    「誰から会いに行くの?」

     さよの問いに、太郎はちらりと彼に視線を向けて、わずかに逡巡する。

    「そうですね。先ほど、打刀の何名かと脇差が集まっているのを見ました。まだ居ると良いのですが」

     太郎の言葉に、少女は首を傾げる。おそらく刀種など知らないのだろう。無理もないことだ。
     困ったように一度だけさよに視線をやり、そのさよが特に反応を示さないのを見て、太郎を見上げた。

    「おまかせします」



     そうして、少女とさよは、太郎の先導に従って本丸を歩き回った。

     大広間での対峙でわかっていたことだが、刀剣男士には様々な姿形の者がいた。
     少女と大して変わらぬ背丈の者。逆に成人男性の平均をはるかに超えた大柄の者。肉付きもそれぞれで、中には本当に剣を取って戦えるのだろうかと思うほど、線の細い者も居た。
     少女の来訪に対しての反応も同様で、この本丸に通してもらう前に耳に入った悲惨な過去など微塵も匂わせない快活な者がいれば、引っ込み思案なのか顔を隠してボソボソとしゃべる者、朗らかにこちらを気づかってくれる者など、実に多様である。
     そんな彼らに共通するのが、少女に対する感謝の言葉だった。



    「ありがとな」

    「ありがとうございます!」

    「感謝する」

    「本当にありがとう」

    「おおきに」

    「恩に着る」

    「わたくしからも、是非お礼の言葉をお!」

    「ありがとね」

    「ありがとう」

    「感謝しております」

    「へへ、ありがとな!」

    「感謝である!」

    「ありがとー」

    「ありがとさん」

    「感謝しておるぞ」

    「ありがとう」



     あいさつをするたび自己紹介をされた。しかし、今までこれほど大人数の名前を一度に覚える機会がなかったため、少女の脳はとても追いつかなかった。学校の同級生なら、上履きを見れば名前が書いてあるのだが。

     そうして、突然の情報量に少女がめまいを感じはじめた時、部屋を一通り回ったからということで、少女とさよは元寝ていた部屋に戻ることになった。今は日陰で涼んでいる。しかし、あれから陽はますます高くなり、室内も暑さを増している。
     太郎は、少女が会えなかった刀剣男士を探しに一人行ってしまった。おそらく、立て続けに大人数と会話して疲れた様子の少女を気遣ってくれたのだろう。
     今はさよが一人、正座で少女のそばに寄り添っている。いや、正確には部屋に隅にクダが一匹転がっているのだが、相変わらずウンウン唸るばかりで尾を一振りすらしない。

     その時だ。

    「ひ、閃きましたあ!」

     飛び上がったこんのすけに、うとうとしかけていた少女も飛び跳ねた。

    「な、なに!?」
    「外部と連絡を取る手段を思いつきました!」

     四肢をピンと張り、コーンと勝ちどきをあげるこんのすけに、少女は顔をパッと明るくした。

    「じゃあ帰れる?」
    「すぐにとは参りませんが、本丸の状態を報告することができれば、救出はずっと早まるはずです」
    「どうするの?」
    「刀剣男士様のお力をお借りします。
     先ほど申し上げた審神者ネットワークと仕組みは同じです。刀剣男士様方にも、顕現した際に構成される独自の霊脳通信網があるのです」

     こんのすけは得意げに説明するが、少女はよくわからなかったので、つまり?と首をかしげた。

    「準備はこんのすけが致します。さあ、誰か刀剣男士様を」



     皆が一挙一動を注視する中で、少女はページの交信ボタンを押した。
     ページの下部に、新しく投稿されたコメントが追加される。少女ははやる心を抑え、その内容に目を通した。

    「よっし!」
    「やりましたね!」

     少女はガッツポーズをし、その横でこんのすけがピョンピョン飛び跳ねる。

    「うまくいったのかい?」
    「はい。他の本丸の審神者さんが政府の方と連絡を取ってくれたみたいです」

     少女は笑顔で声に答える。
     声の主は、こんのすけがどこからともなく用意してくれたパソコンの裏側に座していた。正座でおっとりとした笑みを浮かべ、こんのすけが取り出した機械を真剣な目でいじる少女を見守っていたのは、石切丸だった。

     こんのすけが言うことには、石切丸は今、霊網のポートとしての役割を負ってくれているらしい。
     少女には、石切丸がただそこにいてくれるだけにしか見えなかったが、石切丸はこんのすけの説明に納得していたようだし、実際こうしてパソコンが外部のネットワークに通じているのだから問題はない。現代っ子にとというものは、原理など知らなくても使えるのであれば、細かいことは気にしないのだ。

    「刀剣男士専用板なのに、事情を話したらみんな快く協力してくれて。刀剣男士の方はみなさんやさしいですね」
    「そうかい?
     自分のことでないからよくわからないけど、でも本来人間への情は、私たちの本分のようなものだからね」
    「さあ、刀剣男士様や中継をしてくれた審神者様たちにお礼を書き込みましょう!」
    「はーい」

     こんのすけに促され、少女はカタカタと機械のボタンを叩き始める。

    「しかし珍妙な道具だ。
     あの道具を通して会話している者たちはすべて、同じような道具を使っていると先ほど言っていたけど、他の本丸では刀剣男士もあのようなものを使いこなすのかい?」
    「形はいろいろあるけど、パッドタイプなら義務教育で習うから、現世では万人がある程度は使える物だよ」
    「ぱっどたいぷ」
    「他の本丸のことは知らないけど、こんのすけの言い分を信じるなら、ああやって他の本丸の刀剣男士同士が言葉を交わすのは普通のことみたいだね」

     少女はお礼の文章を考えるのに必須の様子なので、さよが答えてやる。石切丸はふんふんとうなずいた。

    「私にはとてもできそうもないよ。みな器用なのだね」
    「あれは、扱いが難しい方の道具だから。もっと一般向けの簡単なやつもあるよ」
    「おや、そうなのかい?
     しかし、私たちが使う日はこないから関係のない話か」

     穏やかな表情で少女の行動を見守る石切丸を、さよはチラリと一瞥した。

    「……刀解を希望するの?」
    「はじめからそれがみんなの希望さ。
     救い能わずば共に禍と沈もうと覚悟していた」
    「そう」
    「……小夜は、苦しんだのだろうか?」
    「僕は小夜左文字じゃないから、わからないよ」
    「そうか……ああ、そうだったね……」

     さよはもう一度石切丸を横目で見て、しかしなにも語らず、少女に視線を戻した。
     少女は、まだ他の刀剣男士とやり取りをしているようで、こんのすけと話し合いながらパソコンのボタンをたたき続けている。
     その少女が顔を上げた。

    「石切丸さん」
    「なんだい?」
    「手当てしましょう!」
    「手入れですよ、手入れ!」
    「そうだった。手入れしましょう、石切丸さん」
    「は?」

     石切丸は戸惑って、さよに助けを求める視線を送る。

    「どうしたの急に」
    「あのね、さよ。助けてくれたみんなが、こっちの本丸の刀剣男士さんたちがケガしてるのが気になるみたいで。
     霊力があるなら手入れくらいできるんじゃないかって言うから、試してみようかと思って」
    「ここは資源と手伝い札ばかりは有り余っていますので、手入れ部屋に行けばすぐにでもはじめられますよ!」

     ご案内いたします、とこんのすけが机から飛び降りた。

    「石切丸さん、行きましょう!」
    「え、いや、ちょっと待ってくれないかな!?」
    「はい?」
    「どうせ開門すれば政府から担当が派遣されるのだから、君が気にすることはないんだよ?」

     結局刀解してもうらうのだから、とは口にしなかった。

    「でも痛いんですよね。なら、少しでも早く直した方がいいと思います」
    「いくら手伝い札を使うといっても、手入れは霊力を消費する重労働なんだ。私は特に大太刀といって術者への負担が重い。
     君は、見たところ霊力を操る訓練をしたこともない一般人だろう? とてもじゃないけど無理だよ」

     石切丸が見たところ、少女の霊力は一般人に毛が生えた程度のものだ。現世でなら勘がいいと言われるのかもしれない。
     その程度の力では、軽症の短刀の手入れすら、複数はこなせそうになかった。

     そのことを、わかりやすく噛み砕いて、やわらかに伝える。

    「じゃあ、私には手入れを任せられないっていう精神的な問題じゃなくて、多分力が足りなくて危ないからやらない方がいいってことなんですね」
    「有り体に言うと、そういうことだね」
    「むむむ……」

     難しい顔で唸る少女の肩に、こんのすけが飛び乗った。

    「それならば!」

     目をキラキラと輝かせるこんのすけに、石切丸はなにか嫌な予感がした。

    「いや、こんのすけ。みんな手入れなしで今日まで来たんだ。本当に気遣いは……」
    「心配には及びませぬよ、石切丸様!」
    「別に心配をしてるわけでは」
    「手伝い札なしで手入れをしてみれば良いのです」

     なにを言い出すのだ、このクダは。
     石切丸はこんのすけを凝視した。
     少女は首を傾げる。

    「手伝い札って、お手入れを一瞬で終わらせる道具だよね。
     それがなしってことは……時間をかけると何が違うの?」
    「さあ」

     さよは首を横に振る。

    「ご存知の通り、手伝い札を使えば、手入れを一瞬で終わらせることができます。しかしそれは、手入れに必要な霊力を一瞬でかき集めるということ。術者にもそれなりの負担がかかるのです。
     しかし、手伝い札なしの場合には、手入れの進行に合わせてゆっくりと霊力を消費します」
    「それって、途中で霊力が足りなかった場合には?」
    「当然手入れは中断されますが、無理をせずに済むので術者への負担はかなり軽減されます。
     ためしに石切丸様を手伝い札なしで手入れされてみれば、手入れが本当に無理なのかわかりやすいでしょう?」
    「こんのすけ、君ねえ!」
    「石切丸様」

     こんのすけの硝子のようなツルリとした瞳が、石切丸をひたと見据えた。

    「通常、人間は共感性というものを持ちます。
     貴方様たちが傷を持つことは、そのまま審神者様を傷つけることに繋がるのです」
    「だから審神者じゃないって」
    「そうでした!」

     石切丸は無意識に腹を押さえた。
     かつて審神者だった男の指示で、仲間の刃によって穿たれた傷が、そこにはある。
     自分たち刀剣男士は、人の心のようなものを与えられた付喪神だ。もし、自分たちにも共感性というものがあるのなら、泣きながら刃を突いた彼らは、自分を見るたび何を思っているのだろう。
     キュウと、心の臓がうずいた。

    「手入れって本当に危険はないの?」

     さよが少女の肩に立つこんのすけを見上げて問うた。

    「霊力の配分から転換まで、すべてこのこんのすけが完璧に補佐致します。
     もしもの時は、手入れのために結んだ霊経路の遮断まで準備万全です。万に一つも問題はありません!」

     ふんす、と鼻息が見えそうなほど、こんのすけは自信満々にふんぞり返った。そのままバランスを崩して、少女の肩から転がり落ちる。

    「あわわわわっ」

     畳の上でつぶれて手足をばたつかせるこんのすけに、さよはどことなく冷めた視線を向けて、そして少女を見上げた。

    「さよは反対する?」
    「……いや、任せるよ」

     そう言って、さよは少女の手を取った。

    「石切丸さん。できなかったらあきらめますから、ためしにお手入れさせてください!」
    「いや、しかしね」
    ・とあるJKが女審神者になるまでの話
    ・元ブラック本丸が舞台(まだホワイト化はしてない)
    ・刀剣男士は皆ホワイト

    一縷の祈り(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5813100)の後の話。
    一縷の祈りでは切り捨てたけど書きたかった設定などを、書きたいシーンだけ繋いだやつなので脈絡もオチもない。



    「危険はないってこんちゃんも言ってますし」
    「こんのすけですよう」

     確かに、どうせすぐに刀解するのだから今更手入れする必要はないという刀剣男士側の事情がなければ、少女の言い分に間違いはないのだ。

     石切丸は改めて少女を眺めた。
     本当に微弱な霊気だ。石切丸の手入れに臨んでも、多分すぐに音を上げることになるだろう。
     しかし、少女が石切丸に向ける瞳は、自分にもできることがあるのだという高揚感で輝いていた。

    「本当に、君に危ないことがないならね」

     ため息混じりに、譲歩の意思を表明する。
     ぱあっと少女の表情が明るくなった。

    「手入れ部屋! 手入れ部屋どこ?」
    「こちらです!」

     感性を上げる少女とこんのすけに、石切丸は無邪気なものだと苦笑した。
    10/05/15 quitheryne
© Textt / GreenSpace