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スーパーマンは新聞記者である。というのは、1930年代のスーパーヒーローであり、一般市民として生きている(「政府のエージェント」みたいな設定は一部のあとづけ)彼が「情報を素早く知りうる立場」に立つには、警官か記者かくらいだったから。ヒーローマンがけっきょく政府側と組むとかも、基本的には「情報戦」の能力にどうしても欠けるためだろう。
で、スーパーマン、今だったらツイッターやってるだろうか。しかし「情報」を手に入れるのにどれだけフォローすればいいんだろう(彼なら何万人フォローしても捌ききれそうだけど)。
クラーク・ケントのフォロー数ってあんまり多い感じしないけど(RSSリーダーでこっそり購読してるとかかな)。まさかスーパーマン名義のアカウントを作ってHootsuiteで切り換え誤爆とかないよねえ。
スーパーヒーロー・キャラクター類型のひとりであるシャーロック・ホームズも現代では果たす役割が変わってくるだろう。使うツールも。
以上から。
スーパーマンは権利上使うことはできないが、ホームズなら使える。今川版ジャイアントロボの諸葛孔明的なヴィラン・ホームズはすでに作ったが(リーグ・オブ・レジェント的でもある)、最近BBCで放送された現代翻案的ホームズというのがあって(いうまでもなくディジタル・ホームズとは異なる)、それをうまく避けながら、スーパーヒーロー側のホームズももうちょっと突き詰められないものか。
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主人公はスーパーヒーロー。
ヒロインは主人公がスーパーヒーローであることに気づいている。主人公は、ヒロインが自分がスーパーヒーローであるということに気づいていることをうすうす感じながら……
バットマン:マスク・オブ・ファンタズムを見ての着想。
cf. http://textt.net/t/islecape/20100811141543/30
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泥棒とそれを追いかける若者
さいしょは読者を追いかける若者の方に感情移入させておきながら、演出でしだいに泥棒の事情を折り込み、最後には泥棒に思い入れを起こさせるような。
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このエントリが100ブクマに達したら続きを書くシリーズ「もし女子高の生徒会長がJ.S.ミルの『自由論』を読んだら」エピソード4・公正な議論のための12のルール
都立西野女子高校
他の高校の名前。東山、北川、南原?
哲学専攻の大学生の姉
食い詰め予備校講師(本職は哲学助教)
だれがうすらばかか。
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『バンテージ・ポイント』を見て。
人間は複数視点をいちどきに認識することはできない。それゆえにあの演出なわけだが、もし人間が進化・機械化(奇怪化?)して複数状況を同時認識できるようになったとしたら。そのとき『バンテージ・ポイント』はまったく新しい形でリメイクされるかもしれない。同時進行一時間のドラマ、みたいな。べつにこれじゃなくてもいいですね。
あと、シークレットサービスが無能すぎて大統領に命がいくつあっても足りないということを書いたが、じゃあ逆に、大統領に命がいくつもあればいいんじゃないかなーなどということをふと。殺されても平気な顔で復活すんの。で、テロリストが返り討ちにあう。ただのホラーか。
なんにせよ、ほぼデニス・クエイドひとりが大活躍だったわけだが、シークレットサービスの人は個々が優れて適切な状況判断を下せるだけの能力を持っているはずで、あんなにあっさりやられてしまうのはなー。これは要するに僕が「主人公だけ大活躍であとは無能」というのが好みにあわんってことだろうが。
アイディアだだもれというより『バンテージ・ポイント』の感想になってしまった。
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未来の並行世界の各々に自分を送り込み、その「行動」が成功した未来のみを現実として決定できる能力があるキャラクターがいたとしたら。
まず、あらゆる「行動」により並行世界が発生すると仮定する。そこで戦闘イベントが発生したとき、選択できる「行動」には限度がある。で、選択できるコマンドを200と仮定する。そのうち、彼は100のコマンドを選択できる(200選べると無謬なので、できるかぎり少ないほうがいい)。その100の選択肢のうち、99失敗して死んでも、1成功すればそこから現実をこじ開け、すべての未来を規定することができる、というような。そしてもちろん100失敗すれば死ぬ。要するにゲームの残機消費みたいなものか(下手なゲーマーはただ闇雲にプレイする。優れたゲーマーは最初の失敗を繰り返さない)。
ゲームと決定的に違うところは、「失敗を経験して、それを参考に『行動』を修正する」ということができない点。あらかじめどういう行動を取るか、その100パターンを決めなくてはならない。
これ文章ではいまいちわかりづらいなあ。映像化できればかなりインパクトがあるんだけど。100分割された画面で、キャラクターがfailureすると画面がブラックアウト。どんどん画面が暗くなっていく。しかしひとたびどこかで勝利すると、それにあわせて画面が反転し、「成功」したパターンに吸収されていく……
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『アデスタを吹く冷たい風』を読んで。
テナント少佐の「過去の失敗」が気になりすぎる。革命軍(解放軍)側に寝返ったのか捕虜になったのか、というのも気になる。王国王族はどうなったのだろう。処刑されたか亡命したか。
で、ここからが思いつきなのだが、過去の失策と、その失策を象徴する人物が付随するってのはありかも。たとえばテナントのような人物造形に妹がいて、それが実は王女。とかいうのはラノベ的発想すぎるか。「おっさんと少女の組み合わせ」が好きという人がいるらしいので、そういうのに応用きかせられそうな?
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悪魔は人間に似ている(はず)。しかし神はそうではない(と思う)。人間は神の似姿ではあるが、むしろ悪魔によって感情を得たのだから、内面においては悪魔と協調するのではないか。
神は超然としたものであり、そんなことにいちいち怒ったり嫉妬したりもしないだろう。むしろ神は自然(環境)そのものかもしれない。いや、というより全てが神。これはスピノザの汎神論だな。それだと人間も悪魔も神のひとつの顕現ということになるが。
つまりやはり(人格としての)神は存在しない、ということか。
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ふたり皇帝。
内省的で政に長けた従兄帝と、勇敢で優れた将軍である従弟帝。もともと先帝(ふたりの養父)が弟帝を帝位につけようとしていたのだが、元老院は兄帝の帝位継承を決定する。しかし兄帝は弟も帝位に引き上げ、共同皇帝時代となる。弟帝は兄に恩義を感じ、愛してもいるが、しかし弟帝の周囲はそうではない(剣呑)。
まあ要するにマルクス・アウレリウスとルキウス・ウェルス(にさらにコンモドゥスの属性をくっつけた感じ)の夢小説みたいなもんだ。ところでファウスティナは魅力的なキャラクターだが、ここで必要かなあ。
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究極的に言って、過去を題材にした戦略シミュレーションゲームは、プレーヤーが「その過去」を知っているから「優位に立てる」的なものにならないか。
ただ、そこから生まれる(派生する)歴史展開はプレーヤーにとっても未知のものになる。そうなるとプレイヤーとゲーム内ライバルの立場は(未知の展開への対処ということで)イーブンになってしまう。どれだけ序盤で比較優位を保てるかが問題になる、のかも。
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将来、家庭用に、なんでもプリント(出力)できる装置が開発されるとしたら。
なんでも。
フィギュアとかだけでなく、食べるものも着るものも。元素ユニットさえ買っておけば、そこから再構成される。じゃあもうお金は要らないのかといえばそうではない。プリントにはライセンス料がかかる。あるていど大きい物をプリントするには高級なプリンタも必要だ。ポータブルプレーヤーは作れても、40インチテレビは出力できない。元素ユニットの素材価格差もある。レアメタルはバカ高い。でも二酸化炭素は空気中にあるので、ダイヤは完全に価値暴落。こどものおもちゃ以下。
もちろん海賊版とか、プリンタ不正使用とか、いろいろ問題が起こりうるわけで……
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悪役の造形。
たとえば、知性の理想を抱いてはいるが、現実の大衆を馬鹿にしていて、しかもそれを隠し、うまく振る舞い現世利益的に支持を得ることができるような。むしろ主人公のほうが理想に対し直情的であったり。なので、悪役は主人公を微笑ましく思ってはいるのだが(あるいは悪役も過去はそうであった?)、それでも自分の真の理想のためには邪魔な存在ということで叩きつぶそうとする。
なんか、中二と高二の争いみたいな感じだな。
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魔法が存在する世界で、その世界観をことこまかに構築しながらも単に日常生活のドラマだけを描くというような。パンづくりとか、農作業とか。
と情景を思い浮かべつつ、『ヨコハマ買い出し紀行』があるか(アンドロイドが存在する世界で~という)ということに気付く。
そういう描写をするにしても、あくまで「おまけ」かなあ。日常生活を描くことは、それ自体を目的にしてもそんなに面白くないというかありていにいうとつまらない。それを面白く描ける人もいるのかもしらんが。
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「社会主義は資本主義のバリエーションじゃないのか」という話に関連して。
地球という「地理的制約」と、人間の「個人能力的制約」が新しい社会制度の登場を「阻害」しているのではないか。この二つの要因が取り除かれないかぎり、新しい社会制度の登場はないのではないか。これは思考放棄だろうか? もっと真剣に考えれば、思い浮かぶだろうか?
それをあきらめて、宇宙進出と、個人レベルの無制限なエネルギー使用による個人国家主義の到来とかを考えれば……でもこれも結局、一種の焼畑農業的世界なので、いつか飽和状態が来てしまうけど。
サイバー空間内で生きるなら物理的制約はないと考えがちだが、それを演算するシステムはどうしたって物理空間に置かなければならないわけで、これにも限界があるのではないか?
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高速機動マシンに乗るばあい、重力加速に耐えられるようけっこう体を鍛えなければならない。ということはマシンは細身でもパイロットはけっこう体格がいい。
逆に、重機動型は別に体力がいらない……というのは言いすぎかもしれないが、例えば操縦桿が重いとかいうのはマシン側の配慮でどうにでもなることなので、それこそ子どもでも(いつか書いた、チームで戦う近代スポーツとかならますます一点特化のパイロットもありうる)。そうしたギャップをどこかに活かせないものか。
まあ反重力コクピットが導入されていれば万事解決(でもそれだとどんな攻撃を受けても内部には影響がないので涼しい顔できて、絵的に緊迫感がなくなる? なんにせよ電撃攻撃を受けたから内部に電流が走るとかありえない)。
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だいぶ以前に「竜樹点」(Nagarjuna Point)というような設定をこしらえた。0と1の間に∞が存在し、そこからエネルギーを引き出せるとかなんとか。つまり宇宙の真空には莫大なエネルギーがあるのだ、というような。
たぶんダークエネルギー仮説からの着想だと思うのだが、具体的にどういう資料を読んで考えついたのか思い出せない。「ケアス」という用語もそれに関連して知ったはずなのだが、そもそもそれがどういう出自を持つ言葉なのかわからなくなってしまいました。
要するに「『マナ』とかありきたりな言葉は使いたくねーなー」というところから、どうにか独自性を出そうと努めた痕跡ではある。しかし人間の記憶は頼りないもので、かえってそれで元情報にアクセスしづらくなっている、という。
あと、ガイア仮説はもういいよ、とか思いつつ地球が「知性化」する話を書いてたりしたので、僕もあんがい月並みな発想をいろいろ取り繕ってごまかそうとしているところがあるんでは、と思い至った次第。
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舞台内設定。GoogleでなくEagle(Eeegleとか? EeePCみたいだけど)
検索がEyesで、音楽がEars、ソーシャルサービスがLips、各種統合アプリケーションがHands(Crafts?)、地図はFeet...いや、ふつうにMapsでも?
あとSympathとかFeelとか。
映像(YouTube)は、もとは外部サービスだから適当にMooviis(Moovees?)とかでいいかね。
ところで、こういうの作るの面倒くさいから、クリエイティブ・コモンズみたいにしてしろうと制作者で共有できたらいいんじゃないかなあ。シェアード・ワールドではなく、シェアード・エレメンツみたいな。「毎朝新聞」とか「松芝電機産業」とかさ。
むかし「日光プロミネンス証券」とか「スッタモンダ・アンド・プアーズ」とか考えて遊んだことがある。
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いつだったか、ふと思いついた光景。
召喚士と戦闘機械獣、セーラー服少女とサイクロプス。パートナーがそれぞれ時代錯誤しているというような。そこに未来人(ってなんだろう?)を組み込めないものか。
召喚士が操るのがゾイドゴジュラスで、未来人のパートナーがドラゴンだったりすると……でも現代人はどうする。
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夢見がちなドラゴンと現実主義のライダーの女性。仕事は宅配便。
ある日、ドラゴンが「自分の力を試したい」とかなんとか言って蒸発する。ライダーの女性は相棒がいなくなりデスクワークに回されてストレスを溜める。
で、たぶん一見華やかだが生き馬の目を抜く生活に挫折したドラゴンが帰ってくるのだが。
オチは考えていない。
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ツール総集編を見て、ドラゴンのレースと、チェッカーフラッグを持ったお姫様、という光景が目に浮かんだ。
自転車レースのようにチームを組んで、監督や医者や調教師がいて、チームメイトがエースを立てて……そうした近代プロスポーツ的なチームの戦いになるとして、個人の入る余地はあるだろうか? もしかしたら可能かも。「ドラゴン」には実力差があるし。
……ファンタジーの場合、「魔力」とか「潜在能力」で話がどうにかなってしまうというような発想になりがちだが、それはファンタジーに「甘えて」いないだろうか。厳密に考えて、もっと科学的に設定を組み立てられるのでは?
で、ファンタジー世界のマスメディアはどんなものだろう? 魔力に基づいて動くテレビの仕組みは? PCは?